真言宗豊山派金剛山
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多聞院の御由緒・歴史
開山・開基 | 述誉上人 | |
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ご由緒 | 金剛山多聞院悲願寺。述誉上人が開山、村内名主傳右衛門先祖與兵衛(法名天雪舊満)が開基となり寛永5年(1628)新宿角筈村に創建、昭和30年当地へ移転したといいます。天保8年の大飢饉に際して、寺の献身的な活動をものがたる、「飢人過去帳」がある。つまり568人の行路人に対する寺の慈悲心が如実に示され、この年の飢饉が如何に悲惨なものであったかとものがたる実録である。同過去帳は、天保8年3月13日に始まり、同年11月25日に至る。この間の餓死者一人一人の俗名・年令・生国を記し、俗名不詳のものにはくわしく風体や推定年令・性別などを書き添え、しかも総ての者に法名を冠しているのである。墓地には「五百六十八人無縁墓」の高さ2m50cm、幅約50cmの碑が、第8世住職覧信和尚の高徳を讃える如く、しかも当時を偲ばせる如く建っている。なおこの無縁墓の外に、幕末の志士「大久保鼎」、明治の漢詩人として名高い「本田種竹」の墓がある。 |
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