しばとうしょうぐう
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楽しみ方芝東照宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年04月26日(土) 11時00分43秒
参拝:2025年4月吉日
徳川家康公が祀られる芝東照宮にご参拝。
上野、芝東、日光、久能山は、四大東照宮と呼ばれるとのことです。
増上寺安国殿から神仏分離の際に切り離されたとのこと。
今回、神仏分離、神仏習合、大権現など、神様と仏様について色々学ぶことができて良かったです。
御由緒は、まさに歴史のお勉強といった感じで興味深いです。
以下、公式HPの引用
当初、増上寺内境内に勧請された。増上寺は天正十八年(一五九〇)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。
当時は日比谷にあったが、慶長三年(一五九八)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。
安国殿の御神体は慶長六年(一六〇一)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀をを行っていた。
死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺に祀るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(後の大老・土井大炊助利勝)の手により駿府から護り送られたのである。
上野、芝東、日光、久能山は、四大東照宮と呼ばれるとのことです。
増上寺安国殿から神仏分離の際に切り離されたとのこと。
今回、神仏分離、神仏習合、大権現など、神様と仏様について色々学ぶことができて良かったです。
御由緒は、まさに歴史のお勉強といった感じで興味深いです。
以下、公式HPの引用
当初、増上寺内境内に勧請された。増上寺は天正十八年(一五九〇)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。
当時は日比谷にあったが、慶長三年(一五九八)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。
安国殿の御神体は慶長六年(一六〇一)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀をを行っていた。
死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺に祀るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(後の大老・土井大炊助利勝)の手により駿府から護り送られたのである。

鳥居です。

本殿です。

東照宮のイチョウです。
迫力がありました。
パワーを頂きました。
迫力がありました。
パワーを頂きました。


家光が植えたと伝えられています。

御朱印をその場で書き入れしてくれました。
惚れ惚れするほど達筆でした。
惚れ惚れするほど達筆でした。

素晴らしかったです。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
すてき
投稿者のプロフィール

ichienyugo38投稿
北海道在住の40代男性です。 2025年2月、御朱印始めました。 北海道の自然と神社の雰囲気が好きでこれまでも主に道内の神社を沢山巡っていました。40代後半を迎え、大病も経験し、その際には沢山...もっと読む
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