げんかくじ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方源覚寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年09月21日(日) 03時36分07秒
参拝:2025年9月吉日
地下鉄春日駅の目の前なのだが、地下鉄の出口を間違えると大変な事になるのだ。出口8!!
間違えないように・・・
こちらのお寺。江戸時代からの敷地が広かったのもあるのだろうが、地下鉄駅前で車の便も良い都道301号線と立地が良い。奥まっていてわかりにくいお寺とは違うのだ。
ということで、戦後に建てられた本堂は上の写真を観たらわかるようにビル?マンション?
道路に面した側の棟は1階に中華料理店や松屋などが入っている。
小石川ハイムという11階建てのマンションである。
ううむ。都会のお寺はやはり違うなあ。
と、本堂は現代的であるが、江戸時代から残されている本尊や閻魔像などは、うん、お寺に来たなというものであった。
当寺院の別称にもなっている「こんにゃくえんま像」は、鎌倉時代、運慶派の仏師の作と推定される、像高100.4センチの木造閻魔王坐像である。像内に寛文12年(1672年)の修理銘がある。文京区指定有形文化財になっており、文京区内にある仏像でも古いものに属する。閻魔像の右側の眼が黄色く濁っているのが特徴。
右側の目が濁っていることについては以下のような伝説がある。宝暦年間(1751年 – 1764年)に一人の老婆が眼病を患いこの閻魔大王像に日々祈願していたところ、満願の夜、老婆の夢に閻魔大王が現れ、「我、日月にも等しい両眼のうち一つをえぐり取って汝に授くべし(=我が片眼を汝に与えよう)」と告げたという。その後、老婆の眼はたちまちに治り、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物である「こんにゃく」を断って、ずっと閻魔大王に供え続けたという。以来この閻魔王像は「こんにゃくえんま」「身代わり閻魔」の名で人々から信仰を集めている。現在でも眼病治癒などのご利益を求め、閻魔像にこんにゃくを供える人が多い。また毎年1月と7月には閻魔例大祭が行われる。
こちらのお寺の方の話によると、
こんにゃく=困厄
だそうで、こんにゃくを閻魔さまに捧げることで自分の困難や厄を取り去ってもらうという事なのだそうだ。
おいおい。ホームページやお寺の受付では、相変わらずコロナを怖がっているんだが。。。
閻魔さまの方が怖いわーー。
春日は、徳川家光の乳母、春日局からの由来の地名であるが、この辺りは江戸時代に発展した街であり、家康の信仰する浄土宗王国だ。
江戸の町を垣間見る瞬間であった。
追加
夏目漱石「こころ」にも登場するお寺だ。
「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私わたくしは外套がいとうを濡ぬらして例の通り蒟蒻閻魔こんにゃくえんまを抜けて細い坂路さかみちを上あがって宅うちへ帰りました。Kの室は空虚がらんどうでしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳かざそうと思って、急いで自分の室の仕切しきりを開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、火種ひだねさえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。
その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せてくれたりしました。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の間まからKの火鉢を持って来てくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。その日もKは私より後おくれて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは大方おおかた用事でもできたのだろうといっていました。
先生の遺書より
現代的な本堂の前にはアメリカディゴの紅い花。
閻魔堂、毘沙門天と、ここは紅いイメージのお寺だ。
残暑すぎ 紅き閻魔に 江戸を観る
間違えないように・・・
こちらのお寺。江戸時代からの敷地が広かったのもあるのだろうが、地下鉄駅前で車の便も良い都道301号線と立地が良い。奥まっていてわかりにくいお寺とは違うのだ。
ということで、戦後に建てられた本堂は上の写真を観たらわかるようにビル?マンション?
道路に面した側の棟は1階に中華料理店や松屋などが入っている。
小石川ハイムという11階建てのマンションである。
ううむ。都会のお寺はやはり違うなあ。
と、本堂は現代的であるが、江戸時代から残されている本尊や閻魔像などは、うん、お寺に来たなというものであった。
当寺院の別称にもなっている「こんにゃくえんま像」は、鎌倉時代、運慶派の仏師の作と推定される、像高100.4センチの木造閻魔王坐像である。像内に寛文12年(1672年)の修理銘がある。文京区指定有形文化財になっており、文京区内にある仏像でも古いものに属する。閻魔像の右側の眼が黄色く濁っているのが特徴。
右側の目が濁っていることについては以下のような伝説がある。宝暦年間(1751年 – 1764年)に一人の老婆が眼病を患いこの閻魔大王像に日々祈願していたところ、満願の夜、老婆の夢に閻魔大王が現れ、「我、日月にも等しい両眼のうち一つをえぐり取って汝に授くべし(=我が片眼を汝に与えよう)」と告げたという。その後、老婆の眼はたちまちに治り、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物である「こんにゃく」を断って、ずっと閻魔大王に供え続けたという。以来この閻魔王像は「こんにゃくえんま」「身代わり閻魔」の名で人々から信仰を集めている。現在でも眼病治癒などのご利益を求め、閻魔像にこんにゃくを供える人が多い。また毎年1月と7月には閻魔例大祭が行われる。
こちらのお寺の方の話によると、
こんにゃく=困厄
だそうで、こんにゃくを閻魔さまに捧げることで自分の困難や厄を取り去ってもらうという事なのだそうだ。
おいおい。ホームページやお寺の受付では、相変わらずコロナを怖がっているんだが。。。
閻魔さまの方が怖いわーー。
春日は、徳川家光の乳母、春日局からの由来の地名であるが、この辺りは江戸時代に発展した街であり、家康の信仰する浄土宗王国だ。
江戸の町を垣間見る瞬間であった。
追加
夏目漱石「こころ」にも登場するお寺だ。
「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私わたくしは外套がいとうを濡ぬらして例の通り蒟蒻閻魔こんにゃくえんまを抜けて細い坂路さかみちを上あがって宅うちへ帰りました。Kの室は空虚がらんどうでしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳かざそうと思って、急いで自分の室の仕切しきりを開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残っているだけで、火種ひだねさえ尽きているのです。私は急に不愉快になりました。
その時私の足音を聞いて出て来たのは、奥さんでした。奥さんは黙って室の真中に立っている私を見て、気の毒そうに外套を脱がせてくれたり、日本服を着せてくれたりしました。それから私が寒いというのを聞いて、すぐ次の間まからKの火鉢を持って来てくれました。私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。その日もKは私より後おくれて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは大方おおかた用事でもできたのだろうといっていました。
先生の遺書より
現代的な本堂の前にはアメリカディゴの紅い花。
閻魔堂、毘沙門天と、ここは紅いイメージのお寺だ。
残暑すぎ 紅き閻魔に 江戸を観る
すてき
投稿者のプロフィール

かおり1683投稿
誰も行かないような静かなお寺、神社が好きです。 地元の方、神社の所有者(小さい神社、祠は私有地が多い)に現地で話を聴き、ネットにない情報をホトカミあげてます。 しかあし! 私の投稿を読む人は1...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。


























