りんしょういん|臨済宗妙心寺派|天澤山
麟祥院のお参りの記録一覧
令和6年(2024年)1月27日(土)
東京都文京区湯島の麟祥院に参拝
「駅からハイキング」で田端駅から日暮里駅まで散歩
春日通りを東に歩いて本富士警察署を過ぎると左手に春日局の像がある。これは前にはなかった。でも、見たことがある。後楽園駅で見たように思う。そこからここに移転したのではなかろうか。
ここは春日局が晩年を過ごした麟祥院。門を入ると左手の寺務所から、「どうぞご自由にご覧ください」との声。せっかくなので入ってみる。左手の方に墓地があり、そこを進んでいくと春日局をはじめ稲葉家の墓がある。
せっかくなので御朱印をいただく。書き置き300円
正式名:天澤山麟祥院
通称:枳殻寺(からたち寺)
東京都文京区湯島にある臨済宗妙心寺派の寺院。徳川家光の乳母として知られる春日局の菩提寺である。周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので「からたち寺」とも呼ばれる。なお京都にある同名の妙心寺の塔頭・麟祥院も寛永11年(1634)に徳川家光により春日局の菩提寺として建立されたものである。
寛永元年(1624)、春日局の隠棲所として創建。境内地1万坪・寺領300石の御朱印状を拝領し徳川秀忠の御明御殿を賜り、殿堂を造立した。寛永7年(1630)、野州宇都宮の興禅寺の渭川和尚の高徳が春日局の耳に入り、当山の住職として拝請され開山となった。当初は「報恩山天沢寺」と称したが、春日局の法号をもって「天澤山麟祥院」と号するようになる。
明治20年(1887)には井上円了がこの寺の一棟を借りて哲学館(東洋大学の前身)を創立した。境内に「東洋大学発祥之地」の碑がある。
毎年10月14日に春日忌として春日局の法要を行っている。
「東京メトロ岐阜県ゆかりの地スタンプラリー」
スタンプラリーのポイントがある駅近くの寺社をめぐるという独自巡りです。
その④は麟祥院です。
1624年(寛永元年)に春日局の隠棲所として創建されました。
春日局は、明智光秀の家臣で代々美濃国守護代を務めた斎藤氏の一門、斎藤利三の娘です。
齋藤氏の居城は岐阜県揖斐川町の白樫城でした。
関ケ原の戦いのあと、夫である稲葉正成、長男正勝、次男正定、三男正利とともに岐阜県関市(武芸川町)の谷口の里で3年間暮らしました。
そのころ住んでいた屋敷跡や生活に使っていたゆかりの井戸が法泉寺というお寺の近くにあり、近くの汾陽寺にも通っていたそうです。
夫の稲葉正成の浮気がひどいので嫌気がさし、徳川家光の乳母に応募。
名門斎藤家の娘であり明智光秀の口添えもあり合格。
夫を捨ててこの地を離れた、という感じの事を学校で習いました(笑)
全然知らない文京区ですが、調べてみると懐かしい岐阜県の地名やお寺などが出てきた楽しかったです。
スタンプポイントは「湯島駅」でした。
スタンプは春日局像です。
こちらが実際の春日局像。奥に山門が見えます。
像の後ろに辞世の句碑があります。
「西に入る 月を誘い 法を得て 今日ぞ 火宅を のがれけるかな」
<山門>
春日局墓所案内図
<春日局墓所>
左は徳川の家紋、右は稲葉の家紋
臨済宗寺院。
三代将軍徳川家光の乳母である春日局の江戸側の菩提寺。東洋大学創立の地でもあります。
周囲をカラタチの生け垣を巡らしていた所から「からたち寺」と呼ばれているが、現在はその面影はないそうです。
ちなみに、京都の妙心寺塔頭があり、家光の命を受けて京都側の菩提寺になっています。こちらには、春日局の坐像が安置されています。
湯島の春日通りを過ごして中に入った所にあります。
入口には春日局の像があります。
山門。
新本堂です。
ここには、この寺のアイドル?のわんちゃんがお出ましでした。
新本堂を左手の参道を歩くともう一つ山門があります。
本堂です。
境内の裏手に春日局の墓があります。
穴が開いているのは、死後も世間を見渡せる様に遺言によって、この様な型になったと言われています。
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