おおたひめいなりじんじゃ
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楽しみ方太田姫稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年01月16日(金) 00時39分50秒
参拝:2026年1月吉日
太田姫稲荷神社は江戸城を最初に築いた太田道灌に縁のある神社です。現在は、三井住友海上火災本社ビルの西側に社殿があり、例大祭は隔年の5月に開催されています。
1457年(長禄元年)、太田道灌は娘が重い疱瘡にかかった時に、京にあった一口稲荷神社(いもあらいいなりじんじゃ)を江戸城内に勧請遷座しました。その神社がのちに江戸城鬼門から城の外に出て、神田錦町、そして神田駿河台の地に移り、現在の社になりました。
社殿は、当初は駿河台淡路坂にありましたが、大正期の総武線御茶ノ水・両国駅間の工事のために移転して、現在の地に落ち着きました。この駿河台淡路坂とは、JR御茶ノ水駅の聖橋口を出て左側の秋葉原方面へ向けて下る急坂のことで、坂の入口には今も「元宮」と書かれた木札が、歩道橋近くの椋(むく)の大樹に下がっています。(千代田区ページより)
御朱印は自分でハンコを押す形のものだ。
太田道灌の名がそのままあるし、大きな神社で宮司さんもいるのだろうと勝手に思っていたのだ。
実際には小ぶりな神社で、それでも綺麗に管理されていた。町内会の方が心を込めて掃除をされている最中であった。
神田には小さな神社が多い。神田明神に多くの参拝者が行くからだろう。
あまり目に触れられない脇道の片隅にある。
神田はとにかく道が複雑でGoogleマップがないと歩けない。
ここも、町内会の方たちが守ってくださっているのだなと感謝した。
と言いつつも、町内会の方々からすると、神田の街を神様が護ってくださるということなのだろう。
小さな庭も整備されており、山吹の季節に来るべきだったなと後悔。
イヤイヤ、又来よう。
古くからある疱瘡は、江戸時代にも最も恐れられた病気の一つ、感染力が強く致死率も高かったから太田姫稲荷神社には疱瘡を恐れて多くの人が参拝に訪れたことだろう。
太田姫稲荷神社の創建は室町時代、長禄元年(1457)、太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築いた頃のことだ。境内にある碑には、だいたい次のような神社の縁起が記されている。
太田道灌の最愛の娘が当時大流行していた疱瘡に罹りだんだん悪化していった。ある日、道灌は知人から「山城国(京都)の一口(いもあらい)稲荷社に祈願すれば平癒する」と聞く。そこで道灌は早速使いを立て祈祷したところ、姫の病は快方に向かい完治した。
喜んだ道灌は山城国から一口稲荷社を勧請し、江戸城内に一社を建立。道灌はこの社を崇拝し、姫もまたこの社を深く信心して仕え、やがて一口稲荷は太田姫稲荷とも呼ばれるようになった。
この神社の隣には日大病院がある。感染症の専門医もいるであろう。今現在、多くの病はワクチン接種を子供の時に打ち、かかる事もない。
だから、室町時代の頃の信仰心というものはわからないのではないかと思うのだ。
何しろ、寺の家族でさえ、「マスクをしましょう」「コロナ怖い」「感染したら檀家さんのせいやねん」などという21世紀だからだ。
ある意味、他人を呪わない時代だったような気持を持ち、感謝の念をしたのだった。
枯山吹 道灌祈願 江戸の地よ
1457年(長禄元年)、太田道灌は娘が重い疱瘡にかかった時に、京にあった一口稲荷神社(いもあらいいなりじんじゃ)を江戸城内に勧請遷座しました。その神社がのちに江戸城鬼門から城の外に出て、神田錦町、そして神田駿河台の地に移り、現在の社になりました。
社殿は、当初は駿河台淡路坂にありましたが、大正期の総武線御茶ノ水・両国駅間の工事のために移転して、現在の地に落ち着きました。この駿河台淡路坂とは、JR御茶ノ水駅の聖橋口を出て左側の秋葉原方面へ向けて下る急坂のことで、坂の入口には今も「元宮」と書かれた木札が、歩道橋近くの椋(むく)の大樹に下がっています。(千代田区ページより)
御朱印は自分でハンコを押す形のものだ。
太田道灌の名がそのままあるし、大きな神社で宮司さんもいるのだろうと勝手に思っていたのだ。
実際には小ぶりな神社で、それでも綺麗に管理されていた。町内会の方が心を込めて掃除をされている最中であった。
神田には小さな神社が多い。神田明神に多くの参拝者が行くからだろう。
あまり目に触れられない脇道の片隅にある。
神田はとにかく道が複雑でGoogleマップがないと歩けない。
ここも、町内会の方たちが守ってくださっているのだなと感謝した。
と言いつつも、町内会の方々からすると、神田の街を神様が護ってくださるということなのだろう。
小さな庭も整備されており、山吹の季節に来るべきだったなと後悔。
イヤイヤ、又来よう。
古くからある疱瘡は、江戸時代にも最も恐れられた病気の一つ、感染力が強く致死率も高かったから太田姫稲荷神社には疱瘡を恐れて多くの人が参拝に訪れたことだろう。
太田姫稲荷神社の創建は室町時代、長禄元年(1457)、太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築いた頃のことだ。境内にある碑には、だいたい次のような神社の縁起が記されている。
太田道灌の最愛の娘が当時大流行していた疱瘡に罹りだんだん悪化していった。ある日、道灌は知人から「山城国(京都)の一口(いもあらい)稲荷社に祈願すれば平癒する」と聞く。そこで道灌は早速使いを立て祈祷したところ、姫の病は快方に向かい完治した。
喜んだ道灌は山城国から一口稲荷社を勧請し、江戸城内に一社を建立。道灌はこの社を崇拝し、姫もまたこの社を深く信心して仕え、やがて一口稲荷は太田姫稲荷とも呼ばれるようになった。
この神社の隣には日大病院がある。感染症の専門医もいるであろう。今現在、多くの病はワクチン接種を子供の時に打ち、かかる事もない。
だから、室町時代の頃の信仰心というものはわからないのではないかと思うのだ。
何しろ、寺の家族でさえ、「マスクをしましょう」「コロナ怖い」「感染したら檀家さんのせいやねん」などという21世紀だからだ。
ある意味、他人を呪わない時代だったような気持を持ち、感謝の念をしたのだった。
枯山吹 道灌祈願 江戸の地よ
すてき
投稿者のプロフィール

かおり1761投稿
誰も行かないような静かなお寺、神社が好きです。 地元の方、神社の所有者(小さい神社、祠は私有地が多い)に現地で話を聴き、ネットにない情報をホトカミあげてます。 しかあし! 私の投稿を読む人は1...もっと読む
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