日蓮宗法苑山
浄心寺のお参りの記録一覧
東京都江東区平野に位置する日蓮宗寺院、浄心寺(法苑山)は、1658年に創建され、江戸時代から現在に至るまで地域の信仰の中心として親しまれています。その起源は、日義上人が深川に草庵を営んでいた際に、四代将軍徳川家綱の乳母である三沢局の帰依を受けたことにあります。
●創建の経緯
三沢局(法名浄心院妙秀日求大姉)は、日義上人に深く帰依し、彼に新寺の建立を託しました。しかし、日義上人が亡くなった後、彼の弟子である日通上人がその意志を継ぎ、浄心寺を創建しました。家綱からは寺領100石の御朱印状が拝領され、その格式は江戸十祖師の中でも随一とされました。
●身延山との関わり
浄心寺は身延山の弘通所とされ、1753年には身延山から祖師像や七両天女像の出開帳が行われ、以降も数度にわたってこれが続きました。
●建物と文化財
浄心寺の境内は壮大であり、明治40年に完成した鉄筋コンクリート造りの祖師堂は、歴史的価値を持つ建物として重要です。震災や戦災によって多くの建物が失われた中で、この祖師堂は昔の姿を伝える貴重な存在です。また、境内には和合稲荷も建立され、三沢局の意志が今に受け継がれています。
浄心寺の住職は世襲制ではなく、法縁に基づいて三百余の寺院の住職から選ばれています。
清澄白河、ブルーボトルコーヒーの近くにある日蓮宗のお寺です。
とても境内が広く驚きました。
4代将軍 徳川家綱の乳母、三沢局(みさわのつぼね)の菩提を弔うため創建されました。
江戸時代は、10万石の格式をもつ大寺院で、江戸十大祖師の随一といわれた名刹だそうです。
山門
銅造梵鐘
水屋と百度石
水屋の由緒碑
梅玉之碑
水盤
井桁橘の紋。
祖師堂
東京スカイツリーが見えます
和合稲荷鳥居
和合稲荷
蔵魄塔 関東大震災慰霊碑
本堂
桜の咲きはじめの時期でした
御首題はこちらでいただきました
本堂前から境内を見たところ
広いです
お墓の入り口
石造燈篭 伊達宗政奉納
伊達宗政は仙台藩6代藩主、伊達氏22代当主、伊達政宗玄孫。
姉の供養のため奉納。
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