浄土宗 道本山
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楽しみ方霊巌寺のお参りの記録一覧

深川・清澄の落ち着いた一角に佇む霊厳寺を参拝しました。境内へ足を踏み入れると、まず目に入るのは江戸六地蔵の一つとして名高い 「銅造地蔵菩薩坐像」。堂々たる大きさで、静かにこちらを見守るようなたたずまいがあり、江戸の人々が旅の安全や無病息災を祈った面影がそのまま残っています。
お地蔵さまの脇には紅葉が色づき始めており、秋の柔らかな光に照らされて鮮やかに映えていました。季節感あふれる景色のおかげで、境内全体がしっとりとした雰囲気に包まれていました。
霊厳寺は本堂もとても大きく、敷地も広々としており、都心にあることを忘れるほど静か。歴史が重ねられてきた空気を感じながら歩くと、奥には 松平定信公の墓所もあります。寛政の改革を行った人物として知られる定信公にゆかりの地を訪れられたことも、貴重な体験でした。
江戸の古い信仰と、静謐な寺の空気をじっくり味わうことができる参拝となりました。


霊巌寺(れいがんじ)を参拝しました!
大江戸線、地下鉄半蔵門線、清澄白河駅から歩いてすぐでした!
駅から出まして大きな桜の綺麗なお寺があると、歩いて見てましたら到着しました!
テレビ朝日のじゅん散歩で放送されてましたので気になってましたが、山門は昨年新しく出来上がったばかりの様で、とても綺麗で彫刻も素晴らしくて見応えがありました☺️
正式名称 道本山東海院霊巌寺
山号 道本山
院号 東海院
宗派 浄土宗
御本尊 阿弥陀如来
◯霊巌寺は、寛永元年(1624)に、雄誉霊巌(おうよれいがん)上人が霊巌島(現在の東京都中央区新川)に霊巌寺を創建したのが始まりで明暦3年(1657)の大火事によって焼失し、現在の深川の地に移転しました。
境内には、松平定信墓や江戸六地蔵の一つ
銅造地蔵菩薩坐像があります。
(ようこそ江戸深川へ より)
◯江戸六地蔵(霊巌寺)
江戸六地蔵第5の地蔵
江戸六地蔵は、江戸深川に居住していた
地蔵坊正元が、京都の六地蔵をならい、
江戸をつなぐ街道筋6ヶ所に建立しました。
正元は24歳のときに重病にかかりますが、父母とともに地蔵菩薩に願をかけて回復したことを受け、地蔵菩薩の建立を決意したといわれています。
(江東おでかけ情報局より)
◯陸奥白河藩の第3藩主で、寛政の改革を行った松平定信の墓があります。
霊巌寺周辺の地名である白河は、定信に由来しています。

銅造地蔵菩薩坐像


山門は2024年3月に完成したそうです




関東大震災慰霊の石仏

圓光大師七百年記念碑



大きなお地蔵様です

銅造地蔵菩薩坐像の説明

御本堂



松平定信の墓

葉桜になりかけてます


御本堂横




御本堂


御本堂扁額



勢至丸さま



隣が幼稚園です



門の彫刻が素敵です!





松の紋章が素敵です


門の裏側に阿弥陀様がいらっしゃいました


江東区白河に位置する浄土宗の道本山東海院霊巌寺は、寛永元年(1624年)に霊巌雄誉上人によって創建されました。彼は隅田川の河口を埋め立てて霊巌島を築き、ここに寺院を設立しました。この地は当初、江戸の中心部に近い茅場町付近にありましたが、明暦の大火(1657年)により焼失し、翌年には現在の地に移転しました。
●霊巌上人の教え
霊巌上人は、浄土宗の総本山である知恩院の第32世住職であり、江戸における浄土宗の普及に尽力しました。彼の指導のもと、霊巌寺は関東十八檀林の一つとして、多くの僧侶が修行する場となりました。上人の徳を慕う信者たちによって、寺院は急速に成長し、学寮も120余り設置されました。
●墓所と文化的な重要性
霊巌寺の境内には、陸奥国白河藩の松平定信の墓所があり、ここから「白河」という地名が生まれました。定信は、寛政の改革を行った重要な歴史的人物であり、その存在は寺院にさらなる歴史的価値を加えています。また、境内には江戸六地蔵の第5番も安置されております。
●災害と復興
霊巌寺は、大震災や戦災によっても影響を受けましたが、昭和56年には現在の本堂が完成しました。















正式名:道本山東海院霊巌寺
東京都江東区白河一丁目にある浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。
寛永元年(1624)、雄誉霊巌上人の開山により、日本橋付近の芦原を埋め立てた霊巌島(現在の東京都中央区新川)に創建された。
明暦3年(1657)、江戸の大半を焼失した明暦の大火により霊巌寺も延焼。境内や周辺で1万人近くの避難民が犠牲になったという。
万治元年(1658)に徳川幕府の火事対策を重視した都市改造計画の一環として現在地に移転した。
霊巌寺には、11代将軍徳川家斉のもとで老中首座として寛政の改革を行った松平定信の墓をはじめ、今治藩主松平家や膳所藩主本多家など大名の墓が多く存在する。また、境内には江戸六地蔵の第5番が安置されている。



















































寛政の改革を行った江戸中期の老中松平定信の墓所がある浄土宗寺院。浄土宗の関東十八壇林の一つとして多くの別院・塔頭・末寺を擁する大寺院だったそうです。
客殿庫裏、総門が建築中でした。完成後にまた参拝したいです。
銅造地蔵菩薩坐像は体幅がある堂々とした像です。
霊巖寺の所在地は江東区白河(町)。元々は「霊巖町」だったそうです。関東大震災後の区画整理で、「霊巌町」が「大工町」に改称されようとした際、渋沢栄一は、「霊巌町は由緒ある名で、東京の恩人でもある定信が眠る地なので、残して欲しい」と東京市に要望しました。その後、定信が藩主をつとめた白河藩の名にちなんで「白河町」となったとのこと。


本堂

江戸六地蔵第5番
1717年造立の銅造丈六像


深川七福神めぐりの途中で立ち寄り。深川江戸資料館の手前にある浄土宗のお寺。松平定信の墓所があります。


江戸六地蔵です。

松平定信墓所


この通りにあります

清澄通りの歴史あるモダンな長屋

深川七福神巡りの途中で立ち寄りました。
江戸六地蔵の5番になります。





御朱印(書置き)江戸六地蔵尊

御朱印(書置き)本尊 阿弥陀如来
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