浄土宗 道本山
霊巌寺のお参りの記録一覧
江東区白河に位置する浄土宗の道本山東海院霊巌寺は、寛永元年(1624年)に霊巌雄誉上人によって創建されました。彼は隅田川の河口を埋め立てて霊巌島を築き、ここに寺院を設立しました。この地は当初、江戸の中心部に近い茅場町付近にありましたが、明暦の大火(1657年)により焼失し、翌年には現在の地に移転しました。
●霊巌上人の教え
霊巌上人は、浄土宗の総本山である知恩院の第32世住職であり、江戸における浄土宗の普及に尽力しました。彼の指導のもと、霊巌寺は関東十八檀林の一つとして、多くの僧侶が修行する場となりました。上人の徳を慕う信者たちによって、寺院は急速に成長し、学寮も120余り設置されました。
●墓所と文化的な重要性
霊巌寺の境内には、陸奥国白河藩の松平定信の墓所があり、ここから「白河」という地名が生まれました。定信は、寛政の改革を行った重要な歴史的人物であり、その存在は寺院にさらなる歴史的価値を加えています。また、境内には江戸六地蔵の第5番も安置されております。
●災害と復興
霊巌寺は、大震災や戦災によっても影響を受けましたが、昭和56年には現在の本堂が完成しました。
正式名:道本山東海院霊巌寺
東京都江東区白河一丁目にある浄土宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。
寛永元年(1624)、雄誉霊巌上人の開山により、日本橋付近の芦原を埋め立てた霊巌島(現在の東京都中央区新川)に創建された。
明暦3年(1657)、江戸の大半を焼失した明暦の大火により霊巌寺も延焼。境内や周辺で1万人近くの避難民が犠牲になったという。
万治元年(1658)に徳川幕府の火事対策を重視した都市改造計画の一環として現在地に移転した。
霊巌寺には、11代将軍徳川家斉のもとで老中首座として寛政の改革を行った松平定信の墓をはじめ、今治藩主松平家や膳所藩主本多家など大名の墓が多く存在する。また、境内には江戸六地蔵の第5番が安置されている。
寛政の改革を行った江戸中期の老中松平定信の墓所がある浄土宗寺院。浄土宗の関東十八壇林の一つとして多くの別院・塔頭・末寺を擁する大寺院だったそうです。
客殿庫裏、総門が建築中でした。完成後にまた参拝したいです。
銅造地蔵菩薩坐像は体幅がある堂々とした像です。
霊巖寺の所在地は江東区白河(町)。元々は「霊巖町」だったそうです。関東大震災後の区画整理で、「霊巌町」が「大工町」に改称されようとした際、渋沢栄一は、「霊巌町は由緒ある名で、東京の恩人でもある定信が眠る地なので、残して欲しい」と東京市に要望しました。その後、定信が藩主をつとめた白河藩の名にちなんで「白河町」となったとのこと。
本堂
江戸六地蔵第5番
1717年造立の銅造丈六像
清澄白河駅そばの霊巌寺に参拝。
江戸六地蔵の5番があるほか、寛政の改革の松平定信公のお墓がある。地名の白河は定信公由来だそうだ。近くにある深川江戸資料館は改装中で7月末まで閉館中でした。御朱印は書置きのものをいただきました。
江戸六地蔵の5番
道本山東海院霊巌寺
松平定信の墓
となりのれいがん寺幼稚園
深川七福神めぐりの途中で立ち寄り。深川江戸資料館の手前にある浄土宗のお寺。松平定信の墓所があります。
江戸六地蔵です。
松平定信墓所
この通りにあります
清澄通りの歴史あるモダンな長屋
門構えが立派で興味を持ってお参りしました。
中には入れませんでしたが松平定信公のお墓があります。
江戸六地蔵
銅造地蔵菩薩坐像
この奥に公のお墓が。
東京都のおすすめ2選🎌
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