ずいしょうじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
瑞聖寺ではいただけません
広告
瑞聖寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年08月02日(火)
参拝:2022年7月吉日
晴れて無風の日に来たかった瑞聖寺様。少し風はありましたが白金氷川神社様リベンジもかねて伺いました😊
瑞聖寺は寛文10年(1670年)に創建された。開山(初代住持)は日本黄檗宗2代の木庵性瑫である。木庵は日本黄檗主の祖・隠元隆琦の招きで明暦元年(1655年)に中国・明から来日し、寛文5年(1665年)に江戸入りした。開基(寺院創設の経済的基盤を提供した人物)は摂津麻田藩(大阪府豊中市)の2代藩主・青木重兼である。重兼は黄檗宗に深く帰依し、晩年には家督を譲って出家している。江戸時代には江戸の黄檗宗の中心寺院として「一山之役寺」と呼ばれていた。『江戸名所図会』によると山門・天王殿・大雄宝殿・禅堂等を備えた巨刹であった[3]が、文政年間に大規模な罹災あう。現大雄宝殿は高輪下馬将軍として名高い薩摩藩主・島津重豪により扁額を与えられる共に再建されるに至る。
大雄宝殿および通用門1棟は昭和59年(1984年)東京都指定有形文化財に指定され、平成4年(1992年)に国の重要文化財に指定された。
瑞聖寺創建350年記念事業として、既存庫裏老朽化による建替え工事を行っており、工期は平成29年(2017年)1月着工、平成30年(2018年)11月に完成している。
瑞聖寺は寛文10年(1670年)に創建された。開山(初代住持)は日本黄檗宗2代の木庵性瑫である。木庵は日本黄檗主の祖・隠元隆琦の招きで明暦元年(1655年)に中国・明から来日し、寛文5年(1665年)に江戸入りした。開基(寺院創設の経済的基盤を提供した人物)は摂津麻田藩(大阪府豊中市)の2代藩主・青木重兼である。重兼は黄檗宗に深く帰依し、晩年には家督を譲って出家している。江戸時代には江戸の黄檗宗の中心寺院として「一山之役寺」と呼ばれていた。『江戸名所図会』によると山門・天王殿・大雄宝殿・禅堂等を備えた巨刹であった[3]が、文政年間に大規模な罹災あう。現大雄宝殿は高輪下馬将軍として名高い薩摩藩主・島津重豪により扁額を与えられる共に再建されるに至る。
大雄宝殿および通用門1棟は昭和59年(1984年)東京都指定有形文化財に指定され、平成4年(1992年)に国の重要文化財に指定された。
瑞聖寺創建350年記念事業として、既存庫裏老朽化による建替え工事を行っており、工期は平成29年(2017年)1月着工、平成30年(2018年)11月に完成している。
☆東参道門☆
現在は寺の北側の目黒通り側が境内入口になっていますが、本来あちらは裏門で、寺の東側が正式の入口でした。もと目黒通り側にあったこの高麗門形式の旧通用門(重要文化財の附指定)は、明治時代に東側に移築されました。
現在は寺の北側の目黒通り側が境内入口になっていますが、本来あちらは裏門で、寺の東側が正式の入口でした。もと目黒通り側にあったこの高麗門形式の旧通用門(重要文化財の附指定)は、明治時代に東側に移築されました。
通用門(表門)を入った所から
☆大雄宝殿(御本堂)と月台☆入母屋造、本瓦葺き、黄檗建築。国重要文化財(建造物)指定
如来三尊像様と布袋尊様が祀られています。
年に1回、しかもたった1時間だけ内部公開されるようです。
如来三尊像様と布袋尊様が祀られています。
年に1回、しかもたった1時間だけ内部公開されるようです。
☆水庭☆
水に映る逆さ大雄宝殿が見たくて、晴れて風のない日に来たかったのです😆
普段は入れませんが、水盤の上でイベントが行われたりします。
水に映る逆さ大雄宝殿が見たくて、晴れて風のない日に来たかったのです😆
普段は入れませんが、水盤の上でイベントが行われたりします。
☆水庭と庫裏☆
左奥角に寺務所があります😊
左奥角に寺務所があります😊
寺務所の横にある庫裏の入口に飾ってありました。奥に庭園があるようです。
☆報恩堂☆
☆開山堂☆
☆鐘楼☆
明治18年築
明治18年築
☆案内図☆
最後に雲が映っていたのでパシャリ📸
通年御朱印
通年御朱印 『布袋尊』
すてき
投稿者のプロフィール
malice 542投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。