うしじまじんじゃ
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牛嶋神社ではいただけません
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牛嶋神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年01月16日(月)
参拝:2022年3月吉日
貞観年間(859〜879)に慈覚大師円仁が当地を訪れた際、須佐之男命の化身の老翁から託宣を受けて創建した。
鎌倉に進軍する源頼朝の軍勢が隅田川を渡河する際に千葉常胤が当社で祈願し、無事に渡ることができた。以降、千葉氏の崇敬を集めるようになり、明治以前は「牛御前社」と呼ばれており、本所の総鎮守であった。
元々は500メートル北の弘福寺のそば(現在の桜橋付近)に位置していたが、大正12年(1923)の関東大震災で罹災し、また墨田堤の拡張工事に伴い、昭和7年(1932)に現在地に遷座。
なお、神社には弘化2年(1845)に奉納された葛飾北斎の大絵馬「須佐之男命厄神退治之図」があったが、関東大震災で現物は焼失し、現在は原寸大の白黒写真が本殿内に掲げられている。
境内には「撫牛」と呼ばれる牛の像があり、自分の体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられている。
また本殿前の鳥居は三ツ鳥居と呼ばれる比較的珍しい形態の鳥居である。
御旅所として、墨田区本所二丁目(若宮公園内)に「摂社若宮牛嶋神社」がある。
鎌倉に進軍する源頼朝の軍勢が隅田川を渡河する際に千葉常胤が当社で祈願し、無事に渡ることができた。以降、千葉氏の崇敬を集めるようになり、明治以前は「牛御前社」と呼ばれており、本所の総鎮守であった。
元々は500メートル北の弘福寺のそば(現在の桜橋付近)に位置していたが、大正12年(1923)の関東大震災で罹災し、また墨田堤の拡張工事に伴い、昭和7年(1932)に現在地に遷座。
なお、神社には弘化2年(1845)に奉納された葛飾北斎の大絵馬「須佐之男命厄神退治之図」があったが、関東大震災で現物は焼失し、現在は原寸大の白黒写真が本殿内に掲げられている。
境内には「撫牛」と呼ばれる牛の像があり、自分の体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると言い伝えられている。
また本殿前の鳥居は三ツ鳥居と呼ばれる比較的珍しい形態の鳥居である。
御旅所として、墨田区本所二丁目(若宮公園内)に「摂社若宮牛嶋神社」がある。
すてき
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竜王1315投稿
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