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今戸神社ではいただけません
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いまどじんじゃ

今戸神社のお参りの記録(1回目)
東京都とうきょうスカイツリー駅

投稿日:2024年08月16日(金)
参拝:2024年5月吉日
GW後半は、実に30年ぶりに浅草を訪れました。 待乳山聖天・本龍院から北へ5分程歩くと今戸神社があります。 由緒書きによると、康平6年(1063年)に源頼義(みなもとのよりよし)・義家(よしいえ)親子が、勅命で安部貞任(あべのさだとう)を征討するべく奥州へ向う折に、京都の石清水八幡を鎌倉の由比郷鶴岡と、ここ浅草今之津村(現在の今戸)の両社に勧請したのが始まりとされ、永保元年(1081年)には清原武衡・家衡(きよはらのたけひら・いえひら)らの反乱を鎮める為に再び奥州へ向う際に当地に立ち寄り戦勝祈願をしたとも云われています。 戦乱兵火や震災に遭うこと屡々で、その都度再建をされ昭和12年(1937年)には隣接する浅草亀岡町の白山神社を合祀して今戸八幡と呼ばれていた社号を今戸神社へと改称したそうです。 当社は幕末に組織された浪士隊・新撰組、沖田総司(おきたそうじ)の終焉の地である、と主張していて境内にその旨を記した碑まで建立されていますが、凡そ信憑性に欠けるものとして現在では謬説であったと考えられるのが一般的です。 また、ここも数多くの「招き猫発祥の地」を名乗る場所の一つで、境内には沢山の招き猫の置物が並べられています。 しかし当社と招き猫の結び付きを示す文献や謂れ等は一切無いようで、強いて言うならば嘉永5年(1852年)に記された書物『武江年表』に拠る、貧しさゆえに愛猫を手放した浅草花川戸に住む老婆の造った「今戸焼丸〆猫」という土人形が浅草寺三社権現(現在の浅草神社)の鳥居横で売られ評判になったこと、を由来としているのだと思われます。 ただし境内に並べられた招き猫の形状は今戸焼製のものは一切見られず、近年の猫(招き猫)ブームに便乗した神社の論拠のない主張であるものと思われます。 御朱印は少し小さめの質の悪い紙に書かれた書置きのみの対応でした。
今戸神社(東京都)
今戸神社・鳥居と神社名碑
今戸神社(東京都)
今戸神社・由緒書
今戸神社(東京都)
今戸神社・手水舎
今戸神社(東京都)
今戸神社・拝殿
今戸神社(東京都)
今戸神社・夫婦の招き猫
今戸神社(東京都)
今戸神社・境内
今戸神社(東京都)
今戸神社・境内
今戸神社(東京都)
今戸神社・境内
今戸神社(東京都)
御朱印

すてき

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