真言宗豊山派萬徳山
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楽しみ方弥勒寺のお参りの記録一覧

弥勒寺を参拝しました。
龍光院から歩きまして、すぐ近くです!
弥勒寺のバス停も、ありました。
檀家さんと思われます車が止まっていまして、お参りに来られてましたので、邪魔にならない様に参拝させていただきました。
趣のある建物と、この辺りの街の何とも味のある雰囲気が参拝していまして、落ち着きました!
改めて、ゆっくり参拝出来たらと思います!
◯1610年創建の真言宗豊山派の寺院です。ご本尊は薬師如来で「川上薬師」と呼ばれたようです。境内の聖観音像の下には東京大空襲の犠牲者3500体の遺骨灰が収められているとのことです。また江戸時代の盲目の鍼灸師の杉山和一(検校)の墓もありました。
山号 萬徳院
院号 聖宝院
寺号 弥勒寺
宗派 真言宗豊山派

弥勒寺のバス停があります。





東京都墨田区に位置する弥勒寺(みろくじ)は、真言宗豊山派に属する寺院で、万徳山聖宝院と号しています。慶長15年(1610年)に僧宥鑁によって小石川鷹匠町に創建され、その後元禄2年(1689年)に本所に移転しました。寺領は100石の朱印状を受けており、江戸時代には新義真言宗関東四ヶ寺の一つとして大きな格を誇る寺院でした。
●本尊とその由来
弥勒寺の本尊は薬師如来像で、徳川光圀から寄進されたものとして知られています。この像はもともと常陸国(水戸藩)の寺院にあり、光圀がその寺の土地を没収した際、薬師像を川に投棄しました。しかし、像は川上に流れたため「川上薬師」と呼ばれるようになり、江戸十三薬師の一つとして多くの信仰を集めました。
●境内の文化財と著名な人物
弥勒寺の境内には、杉山流鍼術の創始者である杉山和一の墓があります。彼は視力を失った後も努力を重ね、江戸幕府の将軍・徳川綱吉の病を治療し、信頼を得ました。和一は1694年に亡くなり、弥勒寺と江の島に埋葬されています。彼の墓は東京都指定旧跡にも指定されています。
また、弥勒寺には戦災殉難慰霊観音像があり、太平洋戦争の犠牲者を慰霊するために建立されました。この像には、近隣で亡くなった3500柱の遺骨が納められています。









墨田区にあるここ「弥勒寺」は、映画『鬼平犯科帳』(1995)でしばしば登場するスポット。真言宗の関東触頭江戸四箇寺のひとつです。原作小説では特に重要な舞台のひとつとなっています。山門の向かいには、お熊婆さんの茶店「笹や」があります。
境内には、徳川綱吉公の鍼灸師をしていた杉山和一の墓があった。
そういえば、近くにあった江島杉山神社は、杉山和一との深い関りがあるのだそうだ。
筆塚もあった。昔の人たちは、人間、動物だけでなく、筆や蓑まで墓を作ったのだなと思うのであった。
小さいお寺だが、池波正太郎先生ファンにはたまらない。そんな場所であった。





弥勒寺は墨田区立川にある真言宗 豊山派の寺院で萬徳山聖宝院と号します。本尊を薬師如来。慶長15年(1610年)に宥鑁が小石川に創建、その後元禄2年(1689年)に本所に移転。ご本尊の薬師如来像は徳川光圀の寄進ということです。杉山総検校は江戸時代の鍼医で五代将軍綱吉の病を治して将軍から賞されているそうです。御府内八十八ヶ所霊場46札所。
亀戸駅から両国駅で大江戸線に乗換えて森下駅で降りて、構内を含めて徒歩10分程の場所にあります。
御朱印は寺務所にていただけます。

山門

杉山総検校墓所石標柱

観音聖像

観音聖像と案内板

杉山総検校
江戸時代の鍼医で五代将軍綱吉の病を治して将軍から賞されたそうです。

杉山和一墓所、医療用針の供養塔

本堂



筆塚


御朱印

地下鉄大江戸線「森下駅」下車徒歩2分。
御府内八十八箇所霊場第46札所の真言宗寺院。
ご本尊の薬師如来は、徳川光圀が寄進した江戸十三薬師の一つです。
江戸時代初期の開山です。
このお寺は、「鬼平犯科帳」の「笹屋のお熊」の中で、お茶屋の婆さんであるお熊が若かりし日の長谷川平蔵こと「本所の銕」としてお世話になった門前のお茶屋があったのがこの弥勒寺の門前とされています。
本所界隈は、鬼平犯科帳に出て来るゆかりの地が多いところでもあります。



本堂です。

真言宗の常法檀林所(学問所)として、いくつかの寺院をまとめていたそうです。
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