すわじんじゃ
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諏方神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年02月16日(木)
参拝:2022年7月吉日
東京都荒川区に鎮座する神社で日暮里・谷中の総鎮守である。諏訪大社を本社とする諏訪信仰の神社のひとつ。
例祭は毎年8月、境内や周辺の道路に露店が立ち並び、多くの人々で賑わう。また、3年に一度の御神幸祭と呼ばれる大祭では本社神輿が町内を渡御する。
元久2年(1202)の創建で、豊島経泰が諏訪大社から勧請したという。
文安年間(1444~1499)に太田道灌より社領の寄進を受け、その後、徳川三代将軍家光から社領5石の朱印を与えられ、江戸幕府も追認した。社殿はもとは山の麓にあったというが、寛永12年(1635)に山上が開削された際に現在地に遷座した。
江戸時代は谷中町や日暮里村の総鎮守として崇められており、谷中町を担当していた町火消「れ組」が奉納した鳥居や狛犬が現存している。
明治時代になると、旧新堀村、現在の日暮里地区、および谷中村の総鎮守として、近郊の人々に篤く崇敬されるようになった。
昭和20年(1945)3月の空襲で被災したが、昭和27年(1952)復興した。
例祭は毎年8月、境内や周辺の道路に露店が立ち並び、多くの人々で賑わう。また、3年に一度の御神幸祭と呼ばれる大祭では本社神輿が町内を渡御する。
元久2年(1202)の創建で、豊島経泰が諏訪大社から勧請したという。
文安年間(1444~1499)に太田道灌より社領の寄進を受け、その後、徳川三代将軍家光から社領5石の朱印を与えられ、江戸幕府も追認した。社殿はもとは山の麓にあったというが、寛永12年(1635)に山上が開削された際に現在地に遷座した。
江戸時代は谷中町や日暮里村の総鎮守として崇められており、谷中町を担当していた町火消「れ組」が奉納した鳥居や狛犬が現存している。
明治時代になると、旧新堀村、現在の日暮里地区、および谷中村の総鎮守として、近郊の人々に篤く崇敬されるようになった。
昭和20年(1945)3月の空襲で被災したが、昭和27年(1952)復興した。
すてき
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竜王1378投稿
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