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とりこえじんじゃ

鳥越神社
東京都 蔵前駅

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歴史

鳥越神社は景行天皇(人皇十二代)の皇子、日本武尊が東夷を御征伐の御時に、この所へ 暫く御駐在遊ばされました。土地の人々はその御徳を慕い尊び奉り白鳥神社(明神さま)をその地へお祀り申し上げました。
相殿の天児屋根命は天照皇大神に仕へ、御功績勝れた御方で、奈良時代藤原氏の人が国司としてこの武蔵の国へ下られた時、御祖先たる故を以てお祀り申されたのです。
又、東照宮(徳川家康公)は、昔の南元町(蔵前四丁目)に、三代将軍徳川家光公の発願によって寛永十一年に江戸城の鬼門除けとして祀られ、大正十四年合祀され相殿にお祀り申し上げました。
北國紀行に『隅田川の鳥越と云へる海村に…』と書かれています様に、五百年ほどの昔は海村で、樹木の茂った小高い山の上に御鎮座になり、東南の方は海(今の東京湾)に面した街道筋の村であったようです。
回國雑記に『暮れにけり やどりいずくと いそぐ日に なれも寝に行く 鳥越の里』と詠まれ鳥がねぐらを求めて鎮守の杜に群がり、閑静な懐かしい気分にさえなります。
永承頃、八幡太郎義家公奥州征伐の折、白い鳥に浅瀬を教えられ、軍勢をやすやすと渡すことができました。義家公これ白鳥大明神の御加護と称え、御社号を奉られてより鳥越の地名が起こりました。
尚、昔は社の境内は頗る広く、小島町・下谷竹町の境にあった三味線堀は、境内の一部で姫が池といい御手洗の池であった(不忍池-忍川-隅田川の間の堀で三味線に似ていた)と伝えられています。
徳川幕府が江戸に開かれるにあたり、堀は埋め立てられ、旗元・大名屋敷地として没収され幕府の市街地整備・米蔵・矢の蔵の土工の為、鳥越の山は取り崩され、埋め立てに使用されました。森田町に榊神社(第六天)・三味線堀に熱田神社が末社としてお祀りされておりましたが、榊神社は堀田原へ、熱田神社は三谷へ移され、吉野橋付近を新鳥越町と称しましたので、鳥越を元鳥越と称しました。この時、本社も他に遷されそうになりましたが、第二代神主鏑木胤正が幕府に様々に請願し元地に残り、鳥越三所明神と称えられるに至りました。

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鳥越神社の基本情報

住所東京都台東区鳥越2-4-1
行き方

・JR「浅草橋駅」西口下車 徒歩 8分
・都営地下鉄「蔵前駅」下車 徒歩 5分
・大江戸線「新御徒町」下車 徒歩10分

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名称鳥越神社
読み方とりこえじんじゃ
通称鳥越明神
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号049-224-0589
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www004.upp.so-net.ne.jp/kab_ra/
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神《合》徳川家康,《主》日本武尊,《配》天児屋根命
創建時代白雉二年(651)
ご由緒

鳥越神社は景行天皇(人皇十二代)の皇子、日本武尊が東夷を御征伐の御時に、この所へ 暫く御駐在遊ばされました。土地の人々はその御徳を慕い尊び奉り白鳥神社(明神さま)をその地へお祀り申し上げました。
相殿の天児屋根命は天照皇大神に仕へ、御功績勝れた御方で、奈良時代藤原氏の人が国司としてこの武蔵の国へ下られた時、御祖先たる故を以てお祀り申されたのです。
又、東照宮(徳川家康公)は、昔の南元町(蔵前四丁目)に、三代将軍徳川家光公の発願によって寛永十一年に江戸城の鬼門除けとして祀られ、大正十四年合祀され相殿にお祀り申し上げました。
北國紀行に『隅田川の鳥越と云へる海村に…』と書かれています様に、五百年ほどの昔は海村で、樹木の茂った小高い山の上に御鎮座になり、東南の方は海(今の東京湾)に面した街道筋の村であったようです。
回國雑記に『暮れにけり やどりいずくと いそぐ日に なれも寝に行く 鳥越の里』と詠まれ鳥がねぐらを求めて鎮守の杜に群がり、閑静な懐かしい気分にさえなります。
永承頃、八幡太郎義家公奥州征伐の折、白い鳥に浅瀬を教えられ、軍勢をやすやすと渡すことができました。義家公これ白鳥大明神の御加護と称え、御社号を奉られてより鳥越の地名が起こりました。
尚、昔は社の境内は頗る広く、小島町・下谷竹町の境にあった三味線堀は、境内の一部で姫が池といい御手洗の池であった(不忍池-忍川-隅田川の間の堀で三味線に似ていた)と伝えられています。
徳川幕府が江戸に開かれるにあたり、堀は埋め立てられ、旗元・大名屋敷地として没収され幕府の市街地整備・米蔵・矢の蔵の土工の為、鳥越の山は取り崩され、埋め立てに使用されました。森田町に榊神社(第六天)・三味線堀に熱田神社が末社としてお祀りされておりましたが、榊神社は堀田原へ、熱田神社は三谷へ移され、吉野橋付近を新鳥越町と称しましたので、鳥越を元鳥越と称しました。この時、本社も他に遷されそうになりましたが、第二代神主鏑木胤正が幕府に様々に請願し元地に残り、鳥越三所明神と称えられるに至りました。

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