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こんれいじ|天台宗

金嶺寺のお参りの記録一覧
東京都 根津駅

ひでどらごん
ひでどらごん
2024年09月18日(水)
368投稿

金嶺寺(きんれいじ) は、東京都台東区に位置する日蓮宗の寺院で、山号は大法山、別名倍増山・宝城院です。慶長16年(1611年)に神田北寺町に寺地を拝領して創建され、その後慶安元年(1648年)に幕府の命で現在地へ移転しました。天海僧正が寛永17年(1640年)に開山したと伝えられています。

本尊 は恵心僧都源信作の阿弥陀如来木像で、不動堂には慈覚大師円仁作の不動明王像、如意輪観音堂には同じく慈覚大師作の如意輪観音像が安置されています。また、境内には「関東一社金山大権現社」があり、金物に感謝し繁栄を願う神社として知られています。『縁起』には、金山権現が「八万四千の随類、九億十万の眷属を従え、天変地異や世の安泰を司る霊験あらたかな神である」と記されています。江戸時代の階級意識の厳しい時代にあっても、万人を救わんとする仏教思想が生きていたことが伺えます。

江戸三十三観音霊場 の一つとして、当山には如意輪観音様が祀られています。享保年間(1716〜36年)に、西国三十三観音霊場を模して設立された江戸三十三観音霊場では、金嶺寺が第31番札所として位置づけられています。現在も本堂正面の大柱に「三十一番」の札が掲げられています。

歴史的な背景 としては、戦前には多くの貴重な仏像があったものの、上野戦争や明治の戊辰戦争で焼失しました。その後、寛永寺塔頭の常照院から本尊阿弥陀如来像を迎え、明治27年(1894年)に本堂が再建されました。関東大震災後には外陣を椅子席とするなど、現代化も図られています。

文化財 としては、庚申塔が台東区有形文化財として指定されています。墓地には書家の北爪有卿、俳優の高田実、女優の原ひさ子など、多くの著名人が眠っています。

金嶺寺(東京都)
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かおり
かおり
2023年05月15日(月)
1121投稿

緑深い境内に、大人しい犬が寝ていました。

こちらも天海上人に深い縁のあるお寺のようです。

金嶺寺は慶長16年(1611)神田北寺町に境内地を拝領し、慶安元年(1648)には幕府の命により、他寺院と共に当地に移転しました。
『御府内備考』に、「開山は天海僧正にして寛永17年庚辰(1640)の起立といふ、江戸鍛冶の司某の開基なり」と記載されております。又同書に「本堂には恵心僧都作の本尊阿弥陀如来木像、不動堂には慈覚大師作の不動尊像、如意輪観音堂には同じく慈覚大師作の如意輪観音像がまつられている」とあります。
天海僧正は鍛冶職の開基に因み、当山を「倍増山・寶城院・金嶺寺」と名付け、境内に金物に感謝し繁栄を願う「関東一社金山大権現社」を勧請されました。『縁起』(宝暦6年(1756)―版木現存)には、「鍛冶職だけでなく、士農工商いずれの人々も『金気金物』無くしては身を立てることはできない。また権現様は八万四千の随類、九億十万の眷属を従え、天変地異や世の安泰を司る霊験あらたかな神である。よって金山権現様は貴賎貧富の別や衆寡孤独等を問わずに病苦厄難を退け、開運繁栄をもたらす万人に等しい神様である」とあります。階級意識の厳しい江戸時代にあっても、万人を救わんとする仏教思想は生きています。(天台宗のページより)

やはり、コロナ禍の為、御朱印はいただけませんでした。

金嶺寺(東京都)
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