こんれいじ
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金嶺寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月15日(月)
参拝:2023年4月吉日
緑深い境内に、大人しい犬が寝ていました。
こちらも天海上人に深い縁のあるお寺のようです。
金嶺寺は慶長16年(1611)神田北寺町に境内地を拝領し、慶安元年(1648)には幕府の命により、他寺院と共に当地に移転しました。
『御府内備考』に、「開山は天海僧正にして寛永17年庚辰(1640)の起立といふ、江戸鍛冶の司某の開基なり」と記載されております。又同書に「本堂には恵心僧都作の本尊阿弥陀如来木像、不動堂には慈覚大師作の不動尊像、如意輪観音堂には同じく慈覚大師作の如意輪観音像がまつられている」とあります。
天海僧正は鍛冶職の開基に因み、当山を「倍増山・寶城院・金嶺寺」と名付け、境内に金物に感謝し繁栄を願う「関東一社金山大権現社」を勧請されました。『縁起』(宝暦6年(1756)―版木現存)には、「鍛冶職だけでなく、士農工商いずれの人々も『金気金物』無くしては身を立てることはできない。また権現様は八万四千の随類、九億十万の眷属を従え、天変地異や世の安泰を司る霊験あらたかな神である。よって金山権現様は貴賎貧富の別や衆寡孤独等を問わずに病苦厄難を退け、開運繁栄をもたらす万人に等しい神様である」とあります。階級意識の厳しい江戸時代にあっても、万人を救わんとする仏教思想は生きています。(天台宗のページより)
やはり、コロナ禍の為、御朱印はいただけませんでした。
こちらも天海上人に深い縁のあるお寺のようです。
金嶺寺は慶長16年(1611)神田北寺町に境内地を拝領し、慶安元年(1648)には幕府の命により、他寺院と共に当地に移転しました。
『御府内備考』に、「開山は天海僧正にして寛永17年庚辰(1640)の起立といふ、江戸鍛冶の司某の開基なり」と記載されております。又同書に「本堂には恵心僧都作の本尊阿弥陀如来木像、不動堂には慈覚大師作の不動尊像、如意輪観音堂には同じく慈覚大師作の如意輪観音像がまつられている」とあります。
天海僧正は鍛冶職の開基に因み、当山を「倍増山・寶城院・金嶺寺」と名付け、境内に金物に感謝し繁栄を願う「関東一社金山大権現社」を勧請されました。『縁起』(宝暦6年(1756)―版木現存)には、「鍛冶職だけでなく、士農工商いずれの人々も『金気金物』無くしては身を立てることはできない。また権現様は八万四千の随類、九億十万の眷属を従え、天変地異や世の安泰を司る霊験あらたかな神である。よって金山権現様は貴賎貧富の別や衆寡孤独等を問わずに病苦厄難を退け、開運繁栄をもたらす万人に等しい神様である」とあります。階級意識の厳しい江戸時代にあっても、万人を救わんとする仏教思想は生きています。(天台宗のページより)
やはり、コロナ禍の為、御朱印はいただけませんでした。
すてき
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