あさくさふじせんげんじんじゃ
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楽しみ方浅草富士浅間神社のお参りの記録一覧

吉原弁財天から近く、浅草浅間神社へ行きました。参拝者もなく、少し寂しげな神社でした。
こちらの御朱印は浅草神社でいただきます。







今戸神社から徒歩でお伺いしました。
浅草警察署そば。










富士塚。
体力なくても登れますね。

頂上に祠。

浅草神社にて書き入れていただきました。

右手に警察署。左側は富士小学校(入り口近くに富士のモニュメント)。
その間の道が富士通り。
まっすぐ進むと、浅草寺、浅草神社があります。

東京都台東区にある浅草富士浅間神社に参拝⛩️境内には富士塚がある🗻道を隔てたところには富士小学校もあった。毎年7/1は山開きの日で植木市も行われるそうです。御朱印は本務社である浅草神社で直接書込みでいただきました。いつも無人の神社だが7/1は山開き特別御朱印、7/1、5、6夏詣御朱印が社務所でいただけるそうです。

浅草富士浅間神社〜富士塚

浅草富士浅間神社〜御朱印

浅草富士浅間神社〜富士塚山頂

浅草富士浅間神社〜本殿

浅草富士浅間神社〜社号碑と鳥居

奥浅草エリアに御鎮座されている『浅草富士浅間神社』へお伺いして参りました。
こちらは浅草神社の兼務社にあたるようで、祭禮の時等以外は社務所は無人のようですが、時節柄・場所柄もあってか、私が参拝している間にも複数名の方が訪れていました。
境内には小さいながらも『🗻富士塚』があって、御由緒によれば、江戸時代には江戸を代表する富士信仰の聖地だったみたいですね(^^)
御朱印は本務社の浅草神社にて頂けるようだったので、こちらでの参拝の後に浅草神社へお伺いし、御朱印帳へのお書入れにて拝受致しました。

⛩️鳥居

社号標

手水鉢

🗻富士塚『浅草富士』

🗻富士塚の頂上の様子

御由緒等

社殿

社殿の扁額

書入れ
本務社の浅草神社にて拝受致しました。

浅草神社の次に北へ徒歩で向い浅草警察署近くの浅草富士浅間神社を参拝しました。
御朱印は、浅草神社で対応して頂きました。
【浅草神社HPより抜粋】
・富士信仰が盛んであった江戸時代、富士山参拝は江戸庶民にとって生涯の夢であった。 当時は交通事情も悪く、富士山崇敬を目的とした『富士講』か結成され、全国各地に浅間神社の勧請が行われた。 富士山山開きの6月1日(現在は7月1日)には、富士参りの出来ない人々が各地元の浅間神社に参詣しました。 そうした富士遙拝所として当社が創建されました。

浅草富士浅間神社の鳥居

浅草富士浅間神社の社号標

手水舎

浅草富士浅間神社の拝殿

拝殿

浅草富士浅間神社の本殿

社務所(無人)

富士塚(右側から登頂出来ます)

浅草富士浅間神社の御朱印
(浅草神社で対応)

仕事は夕勤、浅草富士浅間神社様の正月限定御朱印は3日迄。急いで支度してお参りに行って来ました😅
【浅草富士浅間神社】
富士信仰が最も盛んであった江戸時代、富士山参拝は江戸庶民にとって生涯の夢であった。しかし当時は交通事情も悪く、そうした中、富士山崇敬を目的とした「富士講」が結成され、全国各地に浅間神社の勧請が行われた。富士山山開きの6月1日(現在は7月1日)には、富士参りの出来ない人々が、各地元の浅間神社に参詣した。そうした富士山遙拝所として当社が創建された。 当初は、現蔵前の三好町に勧請•分祀(御神霊を頂くこと)され、その後幕府の命により昔は富士に似た森厳なる小丘であった現在地(浅草五丁目)に移されたとされている。
詳しい創建日は不明だが、当社本殿より発見された棟札によると元禄年間(1688年~1703年)の創建と推察されるが、元禄年間以前の「江戸絵図」にはその鳥居が描かれており、この辺をどう解釈するかが今後の課題である。
当社が再建されたとする江戸時代は神仏習合の時代であり、仏が神の姿をかりて世俗に現れるという権現思想の中、当時神社自体は富士権現として浅草寺子院 の修善寺が管理していた。その後明治維新の神仏分離の政策により修善寺の管轄を離れ、明治6年より浅草神社の兼務社として現在に至る。
ー浅草富士浅間神社HPよりー

初詣特別御朱印


☆鳥居⛩️☆

☆手水☆

☆御社殿☆
明治11年に建てられた社殿は、先の東京大空襲で土蔵造りの本殿を残し全焼。その本殿の観音扉の内側には明治維新前後の作と思われる下り龍の漆喰彫刻が残っている。現在の社殿は平成10年に神社奉賛会その他篤信の方々の努力により再建されたもので、さらに平成14年4月には、石造りの玉垣が奉納され、完成した。

【御祭神】
木花咲耶比売命

☆浅草富士☆

☆子授け石☆


初詣特別御朱印 1/1〜1/3まで頒布

江戸時代からの富士山信仰が育んだ、歴史ある神社です。浅草寺の子院として、地域の人々に親しまれてきました。
●富士山を身近に感じる
江戸時代、富士山への参拝は庶民にとって大きな夢でした。そこで生まれたのが「富士講」と呼ばれる信仰団体です。浅草富士浅間神社は、そんな富士講の人々にとって大切な場所であり、富士山に登れない人々も、ここで富士山を身近に感じることができました。
●歴史と変遷
神社の創建は定かではありませんが、江戸時代にはすでに存在し、浅草寺の子院として栄えていました。明治の神仏分離を経て、現在は浅草神社の兼務社となっています。
歴史ある本殿: 明治11年に建てられた本殿は、東京大空襲にも耐え、内部には明治時代の貴重な彫刻が残されています。
富士山の象徴: 境内には、富士山を模した石造物があり、参拝者はここで富士山のパワーを感じることができます。
植木市: 毎年6月と7月に開催される植木市は、浅草の風物詩となっています。



ボタンを押すと水が流れます。



小野照崎神社様から2社目は浅草富士浅間神社様へお参りに行きました😊
こちらの神社様は浅草神社のHPに度々載っているのですが場所がわからず今回、初めてお伺いできました😆
【浅草富士浅間神社】
富士信仰が最も盛んであった江戸時代、富士山参拝は江戸庶民にとって生涯の夢であった。しかし当時は交通事情も悪く、そうした中、富士山崇敬を目的とした「富士講」が結成され、全国各地に浅間神社の勧請が行われた。富士山山開きの6月1日(現在は7月1日)には、富士参りの出来ない人々が、各地元の浅間神社に参詣した。そうした富士山遙拝所として当社が創建された。 当初は、現蔵前の三好町に勧請•分祀(御神霊を頂くこと)され、その後幕府の命により昔は富士に似た森厳なる小丘であった現在地(浅草五丁目)に移されたとされている。
ー浅草富士浅間神社HPよりー

初詣 特別御朱印 (元旦〜3日迄)

☆鳥居⛩️☆

☆手水鉢☆


☆御拝殿•社務所☆

☆御拝殿☆
明治11年に建てられた社殿は、先の東京大空襲で土蔵造りの本殿を残し全焼。その本殿の観音扉の内側には明治維新前後の作と思われる下り龍の漆喰彫刻が残っている。現在の社殿は平成10年に神社奉賛会その他篤信の方々の努力により再建されたもので、さらに平成14年4月には、石造りの玉垣が奉納され、完成されました。

【御祭神】
木花咲耶比売命


☆富士塚 浅草富士☆
富士塚は富士の霊験を信仰する人々が富士山を遙拝する為に江戸時代に多く造営された塚であり、関東一円各所に点在しています。 この浅草富士は、その遙拝を目的に多くの方に浅草観音裏を周遊頂き、同地域の活性化と当社の御縁日である「植木市」の隆盛を願い、元々富士山に似た小高い丘であった当社境内地に、平成28年6月に氏子•崇敬者の手により建立されました。


東京都のおすすめ3選❄️
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