ゆしまごりょうしゃ
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楽しみ方湯島御霊社のお参りの記録一覧
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東京都文京区に鎮座する湯島御霊社に参拝しました。輪王寺宮法親王(皇族出身の僧侶)が、江戸での自身の守り神として京より御霊神社の御分霊を勧請し、上野に創建されたのがはじまりです。
宝永7年(1710)に宮様が上野から湯島の御隠殿に移られた際に、当社も現在地に遷されました。
屋敷跡の年代からみて、この宮様とは3代目輪王寺宮、「公辯法親王(こうべんほっしんのう)」のことだといいます。公辯法親王は第111代後西天皇の第六皇子で、出家して天台宗僧侶となり、輪王寺門跡に就任された際に関東に下向されました。
当社には相殿として「輿財恵門(よざえもん)稲荷」が祀られていますが、関東下向の際に宮様を水難から守った従者の方のお名前になります。
後に宮様が薨去されると御隠殿は廃止とされ、跡地は菜園となり「大根畑」「御花畑」と呼ばれるようになりました。 そのまま残された当社は「畑の稲荷」「大根稲荷」「新花稲荷」など、八所御霊よりも馴染みの深いお稲荷さんの名で呼ばれ、住民に篤く崇敬されたといいます。
昭和46年より湯島天満宮が兼務されています。
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湯島御霊社(ゆしまごれいしゃ)は、東京都文京区湯島に鎮座する神社です。1710年(宝永7年)に創建され、当初は「御霊八所神社」と称されていました。1913年(大正2年)に現在の名称に改められ、地域の人々に親しまれています。祭神は崇道天皇をはじめとする8柱で、合殿には稲荷神なども祀られています。
● 湯島御霊社の由緒
湯島御霊社は、京都の御霊神社から御分霊を賜り、当初は東叡山大明院が上野に創建しました。その後、1710年に現在の湯島に遷座されました。この神社は、古来より怨霊信仰の一環として設けられた神社であり、非業の死を遂げた方々の霊を慰め、地域の平穏を祈願する目的で建てられました。
● 怨霊信仰と湯島御霊社
湯島御霊社の祭神には、崇道天皇や井上皇后、他部親王など、いずれも非業の最期を遂げたとされる8柱が含まれています。古代日本では怨霊の活動を鎮めるために御霊信仰が発展し、特に貞観5年(863年)の神泉苑での御霊会がその起源とされています。当社もその流れを汲み、鎮魂と平安を祈る神社として役割を担っています。
● 神社の変遷と再建
湯島御霊社は時代を経て変化を遂げてきました。かつては「畑の稲荷」や「新花稲荷」とも呼ばれ、地域住民の産土神(うぶすながみ)として信仰されてきました。太平洋戦争で社殿を焼失するも、戦後に仮殿が建設され、さらに本殿の再建が進められました。現在の社殿はその復興の成果です。
● 湯島御霊社の祭礼と文化
湯島御霊社の例大祭は毎年9月18日に行われます。この祭礼は、古来の御霊信仰を現代に受け継ぐもので、地域の住民や崇敬者たちによる賑やかな行事として知られています。また、神社周辺には江戸時代からの伝統や文化を感じられる風景が残り、観光地としても魅力があります。
● 祭神の構成と御神徳
湯島御霊社の祭神には、崇道天皇、井上皇后、他部親王、火雷神、橘逸勢、吉備真備、文屋宮田麻呂、藤太夫人の8柱が祀られています。このほか、合殿には輿財恵門稲荷や大己貴神も祀られています。これらの神々は、国家守護、地域住民の平安、農作物の豊作など、多岐にわたる御神徳を持つとされています。

湯島天満宮様から4社目は、前から気になっていた湯島御霊社様へお参りに行きました😊
【湯島御霊社】
湯島御霊社は、京都の御霊神社から御分霊を賜わり、東叡山大明院が上野に創建、宝永7年(1710年)輪王寺宮の御隠殿を当所に営ませる時に上野より当地に遷座しました。
しかし輪王寺宮が薨去したため御隠殿は廃止され、跡地は菜園となり「大根畑」「御花畑」と呼ばれました。
そのまま残された当社は「畑の稲荷」「大根稲荷」「新花稲荷」などと通称され、住民に篤く崇敬されたといいます。
明治維新後は旧湯島新花町の氏神とされ、御霊八所神社と呼ばれていましたが大正12年(1923年)に御霊神社と改めました。
昭和20年(1945年)、空襲により社殿一切が灰燼に帰したものの戦後仮殿にて再興、昭和45年(1970年)に現社殿が再建されました。
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