ほうせんじ|真言宗 豊山派|明王山
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楽しみ方宝仙寺のお参りの記録一覧

今日は年に2回開催の宝仙寺寄席に行ってきました。
毎年4月と10月に開催されて今回で31回目。私は今回で3回目の参加です。
御本堂の中で、ゆとりある配置で置かれた椅子で,気楽に楽しめます。
因みに、錦笑亭満堂さん(以前は三遊亭とむさん)は、宝仙寺さん併設の宝仙学園の卒園生でその時の同級生が今の宝仙寺さんの現副御住職さんとのことです😊
御朱印は以前もいただいていますが,せっかくなので今日も書き入れて頂きました。
宝仙寺さんは、少し歩きたい時にちょうど良い距離で、境内も広くとても綺麗な気持ちの良いお寺です。
少し前までは、墓地エリアには彼岸花が綺麗に咲いていました。

書き入れて頂きました

書き入れて頂きました




ご本堂の中で寄席開催。

高座が近いです^ - ^

この規模の落語会では、ちょっとお高いですが…素敵なご本堂の中で、この人数と近さで、ほぼプライベート落語的な時間なので偶には良いかな…と。

宝仙寺さんに用事があり、歩いて行きました🚶♀️
気候も良くなり、ちょっと物足りない距離ですが、まだウォーキングだけの外出では無理ない距離で…。
石臼塚のところに水蓮が一輪咲いていて、見れて嬉しかったです。
一巡りお参りをして、社務所に寄り用事を済ませて、また歩いて帰途へ🚶♀️。
御朱印は二種類,書き入れていただけます。今回は頂いていません。
現在は、紙での記念の見開き御朱印も頒布中です。
↓
【本尊五大明王像修復】
2025年01月17日
昨年より順次、本堂内の本尊修復作業に取り掛かっております。長年の経年劣化による剥落や部材の欠損等が生じていることから修復を行うことになりました。
既に昨年の夏には不動明王を修復いたしました。今回は金剛夜叉明王の修復に取り掛かります。約1年間の作業になる為、工房へと運ばれました。来年の令和8年には軍荼利明王、令和9年には降三世明王、令和10年には最後の大威徳明王の修復を予定しております。金剛夜叉明王像は年内留守になります。
また、修復費用の一部に充てる為、本年より一体ずつ期間限定の御朱印を作成いたしました。併せて御協力の程、お願い申し上げます。
との事です。
御朱印帳も作られています!
お寺用の御朱印帳が、現在使用中のものと、次の予備もあるので、またこの先購入することがあったら、こちらの御朱印帳を頂こうと思っています。
墓地区域では、彼岸花も少しづつ咲いていました。入っていないので写真はありませんが、季節を感じる風景でした。






石臼塚の水蓮








本郷氷川神社さんから歩いて10分程で「宝仙寺」さんに到着し、お参り。立派な仁王門に新緑🌿が映えていました。

書き入れて頂けました

こちらも書き入れのものです



石臼を供養してきるそう


限定御朱印が気になります。お納めは2千円~



今年も宝仙寺さんでは、4/8より早めから(4/1〜?)御本堂の中に花御堂が置かれ、花まつりのお祝いをさせていただけるので,伺ってお祝いさせて頂きました。
4/8当日は、宝仙学園幼稚園の園児さんたちが御本堂でお参りしたり…賑やかなお祝いの日となります。
以前は御本堂右手にたくさんの桜の木があり、満開の時、素敵でしたが、書院を老朽化のため建て直す工事の際に少なくなってしまったのがちょっとだけ残念です。
とは言え、何本かあるソメイヨシノを見がてら…
と思ったのですが、桜の木の下に沿って長テーブルに椅子,キッチンカーも出ていて、
お寺主催の檀家さん関係のお花見が開催されていて^_^:桜の木エリアには近寄れませんでしたが、なんとなく心和む光景でした。横の方から桜を記念に撮りました🌸^_^
御朱印も何度か頂いていますが、書き入れて頂いてきました。
他にも寄付を募る見開き御朱印が頒布されています。月替わりの柄のようです。




















宝仙寺は、平安時代後期の寛治年間(1087~1094)に源義家が創建しました。義家は後三年の役を平定し、帰京途中に持っていた不動明王像を安置するため、阿佐ヶ谷の八幡社の地に寺を建立しました。地主稲荷の神から授かった珠にちなんで「明王山宝仙寺」と号しました。
● 鎌倉時代から室町時代への変遷
鎌倉時代には、大山寺の高僧・願行上人が本尊の霊威を感じ、秘仏として安置しました。室町時代には、当寺中興第一世・聖永により現在の中野区中央に移転されました。また、大宮八幡宮の別当寺ともなりました。
● 江戸時代の隆盛
江戸幕府からの厚い庇護を受け、当寺の僧侶は将軍家の御前論議にも参加しました。また、将軍の鷹狩りの際の休憩所としても利用されました。寛永13年(1636年)には三重塔が建立され、「江戸六塔」の一つとして庶民にも親しまれました。
● 近代の役割と戦災
明治39年(1906年)、境内に中野町役場が建設され、昭和7年(1932年)の中野区発足後は初代中野区役所として使用されました。昭和20年(1945年)の空襲で大伽藍が焼失しましたが、戦後順次復興が進められました。
● 再建された伽藍と見どころ
平成4年(1992年)、三重塔が飛鳥様式で再建されました。本堂や御影堂も復興され、多くの人々が訪れる中野区屈指の寺院となっています。また、江戸幕府が飼育していた象の骨を納めた「馴象之枯骨」も戦前まで存在していました。


















御府内八十八ヶ所十二番札所の宝仙寺さんにお参りしてきました



石臼塚です
中野区と新宿区との間を流れる神田川には江戸時代から水車が設けられて、そば粉を引くことに使われていた。
そばの一大消費地となった江戸・東京に向けて玄そばが全国から中野に集められて製粉の、大拠点となり、中野から東京中のそば店に供給されたため、中野そばとまで、言われるようになった。
その後、機械化により使われなくなった石臼は道端に放置され見向かれなくなっていった。それを見て当山、宝仙寺第五十世住職富田敦純大僧正(宝仙学園創立者)が、人の食のために貢献した石臼を大切に供養すべきであるとして、境内に「石臼塚」を立て供養した。
境内の説明書きより







本堂の左にある御影堂の中の様子です。
御影堂とは、弘法大師の御影すなわちお姿を安置いてあるお堂のことです。
このお堂に安置してある日輪弘法大師像は脱活乾漆という漆と麻布で作られておりこの技法でこのような大きな佛像は壹千年以上も絶えて作られておりません゛した。
この弘法大師像は高さは後背まで入れて約三メートルです。
御影堂の前の説明書きより引用

正式名:明王山聖無動院寶仙寺
東京都中野区中央二丁目にある真言宗豊山派の寺院。
寛治年間、源義家によって現在の杉並区・阿佐ヶ谷にて開山。本尊は義家が後三年の役の際に護持していた不動明王像で、良弁作と伝えられる。また宝仙寺は同じ杉並区の大宮八幡宮の別当寺となり、本尊は鎌倉時代には秘仏になった。
室町時代(1429)、現在の位置に移転した。
江戸時代には優れた僧を出し、歴代の将軍から厚い保護を受け発展した。
また、当寺院の僧侶が将軍の御前論議に参加することもあった。また将軍家が鷹狩りに出た際の休憩所としても利用された。
明治期以降、境内には中野町役場が置かれ、その後、1932年に中野区が発足したときには初代・中野区役所として利用された。



















































関東36不動尊霊場第15番
猛暑の不動尊巡拝、本日ラストはこちら宝仙寺さん。
よく有名人のお葬式が行われるので知ってましたケド、伺うのはは初めてです。
広くてきれいなお寺さん。三重塔がすてき。
でも、もう暑くてさぁ💦ヘトヘトになっちゃったので、御朱印いただいて退散。
御府内八十八ヶ所の札所でもあるから、またゆっくり詣ろう。
お詣りは弾丸ツアーではダメですねー。
心静かに落ちついて詣らねば🙏

整然とした境内です。
木陰に駐車させていただきました。

御本堂

御影堂
3mもある大きなお大師様が鎮座されてます。お地蔵様かと思っちゃったヨ。

美しい三重塔
太平洋戦争で焼失して、平成4年に再建されたそうです。

御朱印は真ん中の窓の所でいただきます。
若くて親切な美坊主さんでした🥰

御朱印

御姿

家からちょうど良い距離なので、頻繁にお参りに伺っているお寺で、その日もウォーキング参拝に伺ったところ、翌日の6/5に
『弘法大師をたたえる夕べ』が開催され、
総本山長谷寺大画軸出ご開帳されるとのことで、日本最大級の高さ16、5mある掛け軸と知り、すぐに社務所で前売り券(500円)を購入して当日楽しみに伺いました。
今回展示された大画像軸は、デジタルアーカイブ化されたデータを基に、屋外で公開するために、令和四年(2022年)に作成された実物大の複製品ではありますが、広い境内にクレーンで吊るされた大画軸は、とても存在感があり、このサイズのものが実際にあると思うと、なかなかの感動的な物でした。
いつも閉まっている御影堂も開いて日輪弘法大師像と結縁御手綱で繋がっていて参拝できたり、
三回法要あり、青年僧侶による法話が五回に分けてあり、そのうちの三回お話を楽しく聞いてきました。
御朱印は、前回いただいていましたが、せっかくなので記念に書き入れて頂きました。工事されていた社務所もきれいになっていました。







先日、初めてお参りした宝仙寺ですが、投稿者さんの記事で、花まつりのご参拝ができると知り、帰り道に寄ってみました。
明日の当日はきっと賑やかなのだと思いますが、風の強い今日は誰もいなくて、ゆっくりお参りできました。
先日は閉じられていたご本堂と弘法殿、三重塔の扉が開かれていました。
まずご本堂をお参りして、お釈迦様に甘茶をおかけしました。
わたしは仏教の幼稚園だったので、花まつりは5歳の時から何十年ぶり💦
思えば5歳でお釈迦様にお会いしていたのですね。
風の中、貴重な仏像も拝見できて心に残るお参りになりました。

今日は弘法大師さまの御朱印をいただきました

ご本堂の扉が開かれていて

中で甘茶をおかけします

弘法殿の中の弘法さま
おやさしい、穏やかな笑顔

三重塔は4面の扉が開いていて、柱の周りに大日如来と4体の仏像

正面の

大日如来さま

塔の中は胎蔵界が表されているそうです

風が吹き抜けていきます

二代目廣重の江戸名所図会
宝仙寺三重塔(初代)
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