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ほうせんじ|真言宗 豊山派明王山

宝仙寺のお参りの記録一覧
東京都 中野坂上駅

しし丸
しし丸
2025年09月26日(金) 01時23分57秒
2482投稿

宝仙寺さんに用事があり、歩いて行きました🚶‍♀️
気候も良くなり、ちょっと物足りない距離ですが、まだウォーキングだけの外出では無理ない距離で…。

石臼塚のところに水蓮が一輪咲いていて、見れて嬉しかったです。
一巡りお参りをして、社務所に寄り用事を済ませて、また歩いて帰途へ🚶‍♀️。

御朱印は二種類,書き入れていただけます。今回は頂いていません。
現在は、紙での記念の見開き御朱印も頒布中です。

【本尊五大明王像修復】
2025年01月17日
 昨年より順次、本堂内の本尊修復作業に取り掛かっております。長年の経年劣化による剥落や部材の欠損等が生じていることから修復を行うことになりました。
既に昨年の夏には不動明王を修復いたしました。今回は金剛夜叉明王の修復に取り掛かります。約1年間の作業になる為、工房へと運ばれました。来年の令和8年には軍荼利明王、令和9年には降三世明王、令和10年には最後の大威徳明王の修復を予定しております。金剛夜叉明王像は年内留守になります。
 また、修復費用の一部に充てる為、本年より一体ずつ期間限定の御朱印を作成いたしました。併せて御協力の程、お願い申し上げます。

との事です。

御朱印帳も作られています!
お寺用の御朱印帳が、現在使用中のものと、次の予備もあるので、またこの先購入することがあったら、こちらの御朱印帳を頂こうと思っています。

墓地区域では、彼岸花も少しづつ咲いていました。入っていないので写真はありませんが、季節を感じる風景でした。

宝仙寺(東京都)
宝仙寺(東京都)
宝仙寺(東京都)
宝仙寺(東京都)
宝仙寺(東京都)
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石臼塚の水蓮

宝仙寺(東京都)
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宝仙寺(東京都)
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翆洋
翆洋
2025年06月01日(日) 14時08分32秒
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本郷氷川神社さんから歩いて10分程で「宝仙寺」さんに到着し、お参り。立派な仁王門に新緑🌿‬が映えていました。

宝仙寺(東京都)

書き入れて頂けました

宝仙寺(東京都)

こちらも書き入れのものです

宝仙寺(東京都)
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宝仙寺(東京都)

石臼を供養してきるそう

宝仙寺(東京都)
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限定御朱印が気になります。お納めは2千円~

宝仙寺(東京都)
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ひでどらごん
ひでどらごん
2025年02月08日(土) 13時25分34秒
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 宝仙寺は、平安時代後期の寛治年間(1087~1094)に源義家が創建しました。義家は後三年の役を平定し、帰京途中に持っていた不動明王像を安置するため、阿佐ヶ谷の八幡社の地に寺を建立しました。地主稲荷の神から授かった珠にちなんで「明王山宝仙寺」と号しました。

● 鎌倉時代から室町時代への変遷
 鎌倉時代には、大山寺の高僧・願行上人が本尊の霊威を感じ、秘仏として安置しました。室町時代には、当寺中興第一世・聖永により現在の中野区中央に移転されました。また、大宮八幡宮の別当寺ともなりました。

● 江戸時代の隆盛
 江戸幕府からの厚い庇護を受け、当寺の僧侶は将軍家の御前論議にも参加しました。また、将軍の鷹狩りの際の休憩所としても利用されました。寛永13年(1636年)には三重塔が建立され、「江戸六塔」の一つとして庶民にも親しまれました。

● 近代の役割と戦災
 明治39年(1906年)、境内に中野町役場が建設され、昭和7年(1932年)の中野区発足後は初代中野区役所として使用されました。昭和20年(1945年)の空襲で大伽藍が焼失しましたが、戦後順次復興が進められました。

● 再建された伽藍と見どころ
 平成4年(1992年)、三重塔が飛鳥様式で再建されました。本堂や御影堂も復興され、多くの人々が訪れる中野区屈指の寺院となっています。また、江戸幕府が飼育していた象の骨を納めた「馴象之枯骨」も戦前まで存在していました。

宝仙寺(東京都)
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宝仙寺(東京都)
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ゆきたか
ゆきたか
2024年04月21日(日) 20時58分07秒
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御府内八十八ヶ所十二番札所の宝仙寺さんにお参りしてきました

宝仙寺(東京都)
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宝仙寺(東京都)

石臼塚です
中野区と新宿区との間を流れる神田川には江戸時代から水車が設けられて、そば粉を引くことに使われていた。
そばの一大消費地となった江戸・東京に向けて玄そばが全国から中野に集められて製粉の、大拠点となり、中野から東京中のそば店に供給されたため、中野そばとまで、言われるようになった。
その後、機械化により使われなくなった石臼は道端に放置され見向かれなくなっていった。それを見て当山、宝仙寺第五十世住職富田敦純大僧正(宝仙学園創立者)が、人の食のために貢献した石臼を大切に供養すべきであるとして、境内に「石臼塚」を立て供養した。

境内の説明書きより

宝仙寺(東京都)
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本堂の左にある御影堂の中の様子です。
御影堂とは、弘法大師の御影すなわちお姿を安置いてあるお堂のことです。

このお堂に安置してある日輪弘法大師像は脱活乾漆という漆と麻布で作られておりこの技法でこのような大きな佛像は壹千年以上も絶えて作られておりません゛した。
この弘法大師像は高さは後背まで入れて約三メートルです。

御影堂の前の説明書きより引用

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