ゆうてんじ|浄土宗|明顕山
祐天寺のお参りの記録一覧
東京都目黒区に位置する「祐天寺」は、浄土宗の寺院で、山号は「明顕山」といいます。本尊には祐天上人像(本堂安置)と、阿弥陀如来坐像(寄木造、阿弥陀堂安置)が祀られております。
●寺の由来と歴史
祐天寺の起源は、江戸時代初期にさかのぼります。享保3年(1718年)、増上寺の36世住持であった祐天上人が体調を崩し、彼の弟子である祐海が祐天上人の廟所を探し始めました。しかし、祐天上人はその年の7月15日に亡くなります。彼の遺志により、祐海は目黒にある善久院を100両で購入し、損傷の激しかった善久院に祐天上人の廟所と常念仏堂を再興しました。
享保8年(1723年)には、正式に「祐天寺」の寺号が許可され、祐天が開山、祐海が第2世として寺の運営を引き継ぎました。これが、現在の祐天寺の歴史の始まりです。
●徳川家との関係
祐天寺は、江戸幕府の将軍家と深い関わりを持つ寺院としても知られています。祐天上人は晩年に奈良東大寺の大仏殿再建に尽力し、5代将軍徳川綱吉、その生母桂昌院、徳川家宣から帰依を受けました。特に徳川家とは強い縁があり、将軍吉宗から「明顕山祐天寺」の寺号が授与されるなど、幕府からの特別な保護と浄財喜捨を受けるなどの厚遇を受けました。
●文化財と建築
祐天寺は、数多くの重要な文化財を有しています。国の登録有形文化財には、本堂、書院、地蔵堂、地蔵堂門、表門、水屋、鐘楼などが含まれています。また、東京都指定有形文化財として、旧崇源院霊屋宮殿や木造祐天上人坐像が指定されています。
区指定の文化財には、仁王門、阿弥陀堂、絹本著色阿弥陀三尊来迎図や当麻曼荼羅図、木造祐海上人坐像などがあります。
●現在の祐天寺
現在の本堂は、元々の常念仏堂を再建したもので、昭和初期の建築です。
鳩さんぽっぽー
GWに行った東博「法然と極楽浄土」展での祐天寺の所蔵品に惹かれ、久々の参拝。
こちらの寺務所の応対はいつも気持ち良いです。今日は祐天上人名号の御朱印を頂きました。東博で見た特徴のある名号が御朱印帳に入り、嬉しい気持ち。
本堂に閻魔さまが安置されてる事も事前に確認しており、ガラス越しながらも無事拝観。阿弥陀堂のご本尊阿弥陀如来坐像は美しい像です。
表門
仁王門
祐天上人の「六字名号」(右)は火災でも燃え残ったというエピソードから、江戸時代には火難除けとして信仰を集めました。
鐘楼
水屋
水屋天井の龍彫刻
阿弥陀堂
本尊の阿弥陀如来坐像が素晴らしい
本堂
閻魔さまは本堂左の祭壇
仏舎利殿
23.11.04。先の稲荷神社より徒歩5分。目黒区中目黒5丁目の駒沢通り沿いにある浄土宗の寺院。
山号 明顕山
院号 善久院
創建 享保3年(1718年)
開山 祐天上人
開基 祐海上人
本尊 祐天上人像
阿弥陀如来坐像
【縁起】
江戸中期に祐天上人が開山し、高弟の祐海上人が創建したお寺です。祐天上人は晩年になって頭角を現した僧侶。53歳で奈良東大寺の大仏殿再建に尽力し、5代将軍徳川綱吉、その生母桂昌院、徳川家宣の帰依を受けると幕命によって様々な寺院の住職を歴任。増上寺の大僧正に就任するなど功績を残しています。将軍吉宗より「明顕山祐天寺」の寺号を授与されています。
めぐろ観光まちづくり協会より
墓地を含めると広大な敷地にあるお寺ですね!
駅名や町の名前にもあるように地域の象徴的な存在であると感じました。見所もたくさんあり良き参詣となりました。
駒沢通り沿い(北側)に入り口
寺号標
表門
国登録有形文化財。
子まもり地蔵
昭和18年建立。
↓
子供の百日咳や疳(かん)の虫封じにご利益があるようです。
地蔵堂門
国登録有形文化財。
地蔵堂
天明8年(1788)建立、寛政12年(1800)増築。
国登録有形文化財。
扁額
祐天上人の本地身(ほんじしん)の地蔵菩薩像が祀られていることを示す「開山本地堂」と記されています。
海難供養碑
目黒区指定有形文化財。
参道
仁王門
享保20年(1735)建立。
徳川綱吉の養女竹姫より寄進された。
目黒区指定有形文化財(建造物)。
仁王像(阿形)
(吽形)
↓
かさね塚
祐天上人が累(かさね)という女性の怨霊を成仏得脱させた伝説による。歌舞伎はじめ芸能作品の題材となった。
鐘楼
6代将軍家宣の17回忌追福のため、享保14年(1729)に正室の天英院から寄進された。
国登録有形文化財。
梵鐘
水屋
弘化3年(1846)建立。
(浄水)
江戸後期の書家•龍眠の書。
参道
阿弥陀堂
享保9年(1724)に5代将軍徳川綱吉の養女竹姫により寄進。
目黒区指定有形文化財(建造物)
↓
五社稲荷
↓
中央に祐天寺6世祐全上人の名号碑
「南無阿弥陀佛」
地蔵菩薩像
祐天上人300年御遠忌法要が行われた平成29年(2017)5月に開眼。
本堂手前の掲示板
本堂
明治31年(1898)再建。
国登録有形文化財。
仏舎利殿
平成29年(2017)建立。
書院
明治28年(1895)再建。
国登録有形文化財。
寺務所方向
直書きの御朱印を拝受しました。
墓地入り口
宝篋印塔
『宝篋印陀羅尼経』を納める塔。この塔に一香一華を供えて礼拝すれば、あらゆる罪障が消滅し、この世では厄難から逃れて長寿を得ることができ、死後は必ず極楽浄土に生まれ変わると信仰された。
三界萬霊塔
↓
祐天上人墓
東京都指定史跡。
頂いたリーフレット
同名の駅から少し歩きます。ゆったりとしたいい空気が流れていました。有名な丸っこい御朱印はスタンプです。寺務所で300円也。
独特の書体
駒沢通り沿いの壁
なんか、いい雰囲気なんですよ
駅からの通りすがりに見かけたSLの動輪と信号機。なぜここにあるのか謎。
説明書き。謎は解明されず。
東急東横線の駅名にもなってる祐天寺。
立派な伽藍の大きなお寺です。大きな絵馬がある仏舎利殿が特徴的です。
南無阿弥陀佛
表門
仁王門
本堂
仏舎利殿
阿弥陀如来坐像
累塚(かさねつか)
江戸三大幽霊のひとりとされる累を祀る塚
東横線祐天寺駅の名前はよく聞くがお寺には初めての参詣。駒沢通りに面している。江戸時代の高僧祐天上人の遺命を受け創建したお寺。祐天上人が怨霊・累を成仏させた話が、怪談累ヶ淵のモデルでかさね塚や物語の大絵馬がある。御朱印は直接書込みでいただきました。
表門
かさね塚
仏舎利殿の壁にある「かさね大絵馬」〜祐天上人が累の怨霊を成仏得脱させた物語
本堂
仏舎利殿
仁王門
阿弥陀堂
祐天上人のお墓
祐天上人200回忌報恩塔
五社稲荷
かさね塚
祐天上人は徳川将軍家から帰依を受けた高僧。綱吉公御息女竹姫寄贈の仁王門、阿弥陀堂などがあります。11月3日は竹姫250回忌がとり行われます。境内の累塚は、江戸三大幽霊で有名な実話累の話を元に創られた歌舞伎上演を記念して大正15年に建立。祐天上人が累の怨霊を鎮めたことで念仏が広まったそうです。
本堂
仏舎利殿には累の大絵馬が描いてあります。
阿弥陀堂は将軍綱吉公御息女竹姫寄贈
仁王門は将軍綱吉公御息女竹姫寄贈
累塚に参拝
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