ゆうてんじ|浄土宗|明顕山
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楽しみ方祐天寺のお参りの記録一覧
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祐天寺での作業前に立ち寄りました🙏
東急東横線・祐天寺駅徒歩10分🚶
祐天寺(浄土宗)
中目黒5-24-53
祐天寺は、享保3年(1718)祐天上人を開山と仰ぎその高弟祐海上人が創建した寺院です。
当時新しい寺院の建立は雑府の厳しい制約があって困難でしたが、祐天上人のかねてからの強い希望と、祐海上人の大変な努力によって、享保8年「明顕山祐天寺」の寺号が許されました。
以来、将軍吉宗の浄財喜捨や特別の保護を受けるなど、徳川家と因縁のある寺として栄えてきました。
本堂には、「木造祐天上人像」が安置されています。この尊像は、将軍綱吉の息女松姫の寄進で、享保4年大仏師法橋石見の名作です(都指定文化財)。
また、祐天寺第二世「祐海上人の木造坐像」(区指定文化財)等が安置されています。
本寺所蔵の「般若心経」1巻、「和紙金学法華経巻第三』1巻(とるに都指定文化財)の2点は類例の少ない逸品です。
なお、境内には、将軍綱吉息女竹姫寄進の「仁王門」(区指定文化財)および阿弥陀堂や稲荷堂、将軍家宜夫人天英院寄進の梵鐘と鐘楼、地蔵堂など江戸時代の遺構を伝える建造物のほか、江戸消防ゆかりのもの、かさね供養塚などがあります。
墓地には、「祐天上人の墓」(都旧跡指定)や柳原愛子(大正天皇生母)の墓等の各墓及び「白子組並びに灘目の海難供養碑」(ともに区指定文化財)などがあります。
平成3年3月
目黒区教育委員会


こんばんにゃむにゃむ〜、ということで祐天寺さん参拝の記録です。

御本尊はお寺の名前が示すとおり本堂の祐天上人像、阿弥陀堂の阿弥陀如来坐像です。

13時くらいの参拝でしたが若いお坊さん達が境内の掃除をしてました。今後暑い時期は熱中症お気をつけください。

令和7年(2025年)3月2日(日)
東京都目黒区中目黒の祐天寺にお参り
駅からハイキングで目黒駅周辺を散歩
祐天寺駅で左に進み、税務署前の信号を左折して駒沢通りを少し歩くと祐天寺に着く。
このお寺には初めて来たのだけれど、思ったより大きく立派。せっかくなので御朱印をいただく。3種類あり、手書きのものとスタンプのがあるとのこと。手書きのものをいただく。300円。最近は500円のところが多いので300円のはありがたい。
墓場の中には祐天上人の墓があるので行ってみたら、その隣には大正天皇生母の墓もある。ちょうど梅がきれいに咲いている。明治天皇の皇后と言えば昭憲皇后(普通は昭憲皇太后と書かれることが多いか。)だが、こちらにおられるのは別の方で、要は側室。明治以降に男系男子というルールにしたのはこのような側室がいることを前提にしたものという議論もある。
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東京都目黒区に位置する「祐天寺」は、浄土宗の寺院で、山号は「明顕山」といいます。本尊には祐天上人像(本堂安置)と、阿弥陀如来坐像(寄木造、阿弥陀堂安置)が祀られております。
●寺の由来と歴史
祐天寺の起源は、江戸時代初期にさかのぼります。享保3年(1718年)、増上寺の36世住持であった祐天上人が体調を崩し、彼の弟子である祐海が祐天上人の廟所を探し始めました。しかし、祐天上人はその年の7月15日に亡くなります。彼の遺志により、祐海は目黒にある善久院を100両で購入し、損傷の激しかった善久院に祐天上人の廟所と常念仏堂を再興しました。
享保8年(1723年)には、正式に「祐天寺」の寺号が許可され、祐天が開山、祐海が第2世として寺の運営を引き継ぎました。これが、現在の祐天寺の歴史の始まりです。
●徳川家との関係
祐天寺は、江戸幕府の将軍家と深い関わりを持つ寺院としても知られています。祐天上人は晩年に奈良東大寺の大仏殿再建に尽力し、5代将軍徳川綱吉、その生母桂昌院、徳川家宣から帰依を受けました。特に徳川家とは強い縁があり、将軍吉宗から「明顕山祐天寺」の寺号が授与されるなど、幕府からの特別な保護と浄財喜捨を受けるなどの厚遇を受けました。
●文化財と建築
祐天寺は、数多くの重要な文化財を有しています。国の登録有形文化財には、本堂、書院、地蔵堂、地蔵堂門、表門、水屋、鐘楼などが含まれています。また、東京都指定有形文化財として、旧崇源院霊屋宮殿や木造祐天上人坐像が指定されています。
区指定の文化財には、仁王門、阿弥陀堂、絹本著色阿弥陀三尊来迎図や当麻曼荼羅図、木造祐海上人坐像などがあります。
●現在の祐天寺
現在の本堂は、元々の常念仏堂を再建したもので、昭和初期の建築です。
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23.11.04。先の稲荷神社より徒歩5分。目黒区中目黒5丁目の駒沢通り沿いにある浄土宗の寺院。
山号 明顕山
院号 善久院
創建 享保3年(1718年)
開山 祐天上人
開基 祐海上人
本尊 祐天上人像
阿弥陀如来坐像
【縁起】
江戸中期に祐天上人が開山し、高弟の祐海上人が創建したお寺です。祐天上人は晩年になって頭角を現した僧侶。53歳で奈良東大寺の大仏殿再建に尽力し、5代将軍徳川綱吉、その生母桂昌院、徳川家宣の帰依を受けると幕命によって様々な寺院の住職を歴任。増上寺の大僧正に就任するなど功績を残しています。将軍吉宗より「明顕山祐天寺」の寺号を授与されています。
めぐろ観光まちづくり協会より
墓地を含めると広大な敷地にあるお寺ですね!
駅名や町の名前にもあるように地域の象徴的な存在であると感じました。見所もたくさんあり良き参詣となりました。

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