しょうがくじ|日蓮宗|実相山
正覚寺のお参りの記録一覧
24.11.28。東急東横線/東京メトロ日比谷線「中目黒駅」より徒歩6分。目黒区中目黒3丁目にある日蓮宗の寺院。
山号 実相山
創建 元和5年(1619年)
開基 三沢初子
開山 日栄上人
本尊 三宝尊
【縁起】〜当寺HPより〜
元和5年に日栄上人によって開山された。碑文谷法華寺(現在の円融寺)の末寺として創建された正覚寺は、不受不施派として幕府からの弾圧を受けるなど困窮した時代にも直面しましたが、伊達家三代目藩主綱宗の側室である三沢初子の帰依により寺門繁栄に貢献し、伊達家との縁の深い寺院として400年以上もの歴史を紡いで参りました。
山手通りと駒沢通りに面した交通量の多い地にありながら、境内に入ると静かな落ち着いた雰囲気もある中、伽藍も立派な建物で重厚さもあるお寺さんでした。
御首題
お題目塔(寺号標)
山手通り沿い入り口
正門
参道
境内より正門振り返り
手水舎
水はありませんでした。
布袋様
鬼子母神堂
令和元年正覚寺開山400年を記念して改修された。
彫刻が素晴らしいです。
日蓮聖人像
疱瘡稲荷
浄行殿
浄行菩薩
祖師堂
本堂
駒沢通り沿いの入り口
御成門
参道
忠魂碑
三沢初子像
鐘楼堂
実相会館
斎場他で利用されるようです。
寺務所
直書きの御首題を拝受しました。
頂いたリーフレット
目黒区中目黒に佇む「実相山正覚寺」は、元和5年(1619年)に日栄上人によって開山された日蓮宗の寺院です。歴史あるこの寺院は、当初、碑文谷法華寺(現在の円融寺)の末寺として創建されました。
●伊達家との深い縁
正覚寺の発展には、仙台の伊達家との強い関係がありました。特に、伊達家の第4代藩主綱村の生母である三沢初子の帰依が大きな影響を与えました。また、彼女は「伊達騒動」の登場人物「千代萩の政岡」のモデルともいわれています。彼女の墓所や1934年に建立された銅像も、今も大切に保存されています。
元禄11年(1698年)には不受不施派の禁圧の影響を受け、碑文谷法華寺(現在の円融寺)の天台宗改宗にともない、本山を身延山久遠寺へと改めました。この歴史的背景は、正覚寺が時代の変遷とともにどのように対応してきたかを物語っています。
●現在の正覚寺とその魅力
令和元年(2019年)には、正覚寺開山400年を記念して鬼子母神堂が改修されました。鬼子母神堂には、三沢初子が祈念したとされる安産・子育ての神様、開運子安鬼子母神が祀られています。鬼子母神像は、伝教大師作と伝えられるもので、その神聖な姿は訪れる人々に深い安らぎと祈りをもたらします。
また、正覚寺の祖師堂には、11代将軍徳川家斉が江戸城中で深く帰依していた日蓮聖人の木像が安置されており、その荘厳な姿も見ることができます
東急花御朱印2〜目黒区中目黒にある日蓮宗のお寺・実相山正覚寺に参詣。
ここには歌舞伎「伽羅先代萩」政岡のモデルとされる三沢初子(伊達家三代藩主綱宗の側室)の像がある。彼女が祈念したとされる安産・子育の鬼子母神堂があり、正覚寺に強く帰依されたとのこと。東急花御朱印いただきました。
正覚寺〜扁額(正門)
正覚寺〜三沢初子像
正覚寺〜鬼子母神堂
正覚寺〜正門
正覚寺〜本堂
正覚寺〜東急花御朱印
正覚寺〜祖師堂
正覚寺〜御成門
正覚寺〜きしもじん
正覚寺〜瘡守稲荷の扁額
正覚寺〜瘡守稲荷・皮膚の伝染病にご利益がある
過去参拝。
日蓮宗なので御首題帳に御題目をいただきました。境内は神仏習合時代をよく表していて神社かお寺かわからなくなりそうで、心の中で拍手しない手を合わせると念押ししながらお参りしました。
日蓮聖人像は筋肉隆々なのではと思える立派な体格で、現代のスポーツマンのようでした。
開運殿(鬼子母神)の彫刻
瘡守稲荷大明神と鳥居の扁額にあります。六角堂は浄行殿
浄行殿の浄行菩薩
本堂
手水舎横の布袋尊
山手通り側の山門
境内は広いです
浄行殿横に亀が台座の御題目石碑。南無妙法蓮華経
開運殿。本堂との間に日蓮聖人像があります。
鬼子母神の扁額
中目黒駅寄りの山門
中目黒にある正覚寺に参詣。仙台・伊達家三代目藩主綱宗の側室・三沢初子(四代綱村の生母)開基。三沢初子は千代萩の政岡のモデル。
御朱印は直接書込みでいただきました。東急花のご朱印は書置きでいただきました。
正門
寺務所にあった「こぞうくん」
東急花のご朱印
三沢初子像
鬼子母神堂
祖師堂
本堂
御成門
瘡守稲荷
中目黒駅から5分も歩かない、大通り沿いにある日蓮宗のお寺です。
かつては日蓮宗不受不施派弾圧の影響を受けて、天台宗に改宗したこともあったようです。
木造のどっしりとした建物が多く見応えがありました。
お参りを終え御首題もお願いしたいと思いましたが、お掃除をされている方にお聞きしたところ、この日は行事があり忙しくしているとのことでしたので次の機会にお願いしてみることにしました。
山門
山門前の石碑
山門前の石碑
鐘楼前に三沢初子像
第4代仙台藩主伊達綱村の生母で諸堂を寄進した
浄瑠璃や歌舞伎で有名な「伊達騒動」の登場人物、「千代萩の政岡」のモデルとも言われている
鐘楼堂
鐘楼堂と大銀杏
手水舎と布袋様
祖師堂
御本堂
御本堂前に釜と瓦
瘡守稲荷大明神
お稲荷様がネットの中に
浄行堂
百度石
先日、仙台は三沢初子様(仙台藩3代藩主伊達綱宗公の側室、4代綱村公の生母)が眠る孝勝寺へ行きましたが東京に初子様が開基したお寺があるということでお邪魔してきました。
賑わっていると思ったら鬼子母神堂が修理をしているようでした。
+明日からイベントがたくさん催されるようで、、、
おそらくその関係者様が多くいらっしゃり、あまり写真を撮る気分になれず(;´∀`)
そんな空気を読んだのかカメラが壊れて撮れなくなる事態になりました(º_º)スゴッ
伊達家と関わりが深いと言われていますが、確かにそうなんだけど調べてると伊達と言えど出てくるのは初子様だけなんですよね。。
歌舞伎での寛文事件があまりにも目立っていて、初子様が政岡のモデルだったのかもっていう、それだけで=伊達ってイメージになっているのかなって個人的には。思いました。
南無妙法蓮華経の文字が美しい。
布袋さんが居ました。裏の手水は空でした。
修理中の鬼子母神堂。(鬼の字の頭の点が説明書にはなかったけど私のPCではその漢字は出ず、、、(;´∀`))
開基された初子様の像。初子様は2代忠宗公の正室、振姫の侍女でした。後に3代綱宗公の側室(ほぼ正室)となり、4代綱村公を出産なさいました。
墓所には初子様のお墓があります。初子様は仙台の孝勝寺で眠られているのでもしかしたら供養塔なのかな。写真は控えて碑だけにしました。お墓に目を向けたら、お墓の横に猫がどっしりと座っていてびっくりしました笑 最近とてもよく、猫に会うのはなんでだろう。。
日蓮宗は御朱印ではなく御首題と呼ぶんですね。御首題帳を持っていない場合は「妙法」となる場合があるそうで、確かに孝勝寺がそうでした。今回はお題目で書いていただけました!孝勝寺と見開きでいただけたので嬉しいです。
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