なかめぐろはちまんじんじゃ
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本日最後は中目黒八幡神社さんにお参りにあがりました。
少し行くと都会の喧騒ですが、閑静な住宅地に佇む都会のオアシスです。近くの方が何人もお参りに来ていました。
社殿もとても立派でした。
中目黒八幡神社
旧中目黒村全体の鎮守で、誉田別命(応神天皇)を主神とし、天照大神を合祀しています。
創建以来、幾度か火災にあい記録や資料に乏しく、創建年代は不明でが、江戸幕府が八幡信仰により農民との融和を深めるべく八幡神社建設を奨励した寛文時代(1660年頃)との推定があるそうです。
現在の延物は堂々とした八棟づくりで昭和11年9月の落成です。
この神社は昔から十二座の神楽を奏することで有名で、今でも毎年9月の例大祭(第3の土、日)には演目十二座の神楽が奏されています。
本殿の左側に神社の緑起などが刻まれている八幡神社の碑がありますが、文字は書道の大家豊道春海先生の書かれたものです。また境内には高さ30mをこえる榎の名木や、いちょう、けやき、しいなどの古木が茂り、泉が湧き出ている静寂な環境をつくっています。

24.11.28。先の正覚寺より徒歩5分。目黒区中目黒3丁目の閑静な住宅地に鎮座。
御祭神 誉田別命(応神天皇)
合 祀 天照大御神
創建年 不詳
社格等 旧村社
【ご由緒】〜当社の説明書きより〜
神仏習合の時代、当社は上目黒にある寿福寺が管理しておりました。しかし、寺が全焼したため、古い資料が焼失しています。当時の村指出銘細帳には、宝暦13年(1763)と弘化2年(1845)に、「上目黒村別当寿福寺の末に上目黒村鎮守八幡宮」の記載があり、氏子400戸、中目黒村境内地539坪の宮有地があると記載されています。
また、文政8年(1825)の『新編武蔵風土記稿』には、「中目黒八幡宮之50坪、村の西方小山の上に社あり、五尺四方にして、東北鳥居、村の総鎮守なり、祭礼9月18日十二座の神楽を奏す。」と記載されています。境内地の手水鉢には「文政十丁亥九月十八日」の刻印があり、江戸時代には、この地で当社が氏子崇敬者の篤い信仰を受けていたことが分かります。
閑静な場所柄か、当社の近辺には”キムタク”さん始め多くの著名人が住まわれている模様です。都会の中とはいえ、昔ながらの鎮守様感があり、癒される参詣でした。
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神様と仏様が一体と考えられていた神仏習合の時代、当神社は上目黒にある寿福寺が管理しておりました。
しかし、寺が全焼したため、古い資料が焼失しています。
当時の村指出銘細帳には、宝歴十三年(1763年)と弘化二年(1845年)に、「上目黒村別当寿福寺の末に上目黒村鎮守八幡宮」の記載があり、氏子数400戸、中目黒村境内地539坪の宮有地があると記載されています。
また、文政八年(1825年)の『新編武蔵風土記稿』には、「中目黒八幡宮之五〇坪、村の西方小山の上に社あり、五尺四方にして、東北鳥居、村の総鎮守なり。祭礼九月十八日十二座の神楽を奏す。」と記載されています。
境内地の手水蜂には「文政十丁亥九月十八日」の刻印があり、江戸時代にはこの地で当社が氏子崇敬者の篤い信仰を受けていたことが分かります。
写真












中目黒八幡神社の情報
| 住所 | 東京都目黒区中目黒3丁目10-5 |
|---|---|
| 行き方 | 東急東横線中目黒駅から徒歩10分。 |
中目黒八幡神社の基本情報
詳細情報
| ご祭神 | 《主》八幡大神 |
|---|---|
| ご由緒 | 神様と仏様が一体と考えられていた神仏習合の時代、当神社は上目黒にある寿福寺が管理しておりました。
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