せたがやはちまんぐう
世田谷八幡宮のお参りの記録一覧

世田谷八幡宮は、源義家が奥州征伐の戦勝を祝して宇佐八幡宮から分霊を勧請したと伝えられています。源義家の信仰に基づくこの神社は、戦後も源氏や吉良家によって崇敬され、江戸時代には徳川家から11石の社領を拝領しました。明治時代には郷社として宇佐神社と呼ばれ、戦後には元の「世田谷八幡宮」に戻されました。
● 江戸時代の歴史
江戸時代、世田谷八幡宮は徳川幕府から11石の朱印地を受け、世田谷村の鎮守となりました。また、古くから相撲の奉納が行われ、江戸郊外三大相撲の一つとして知られています。さらに、吉良家の祈願所としても有名で、社殿の修復が行われました。
● 祭神と境内
世田谷八幡宮の祭神は、大己貴命、日本式尊、少彦名命です。境内には祓戸神社や三峯神社があり、神楽殿も設置されています。例大祭は10月の第2日曜日に行われ、秋祭りの奉納相撲は今も伝統的に行われています。
● 戦後の変遷
終戦後、世田谷八幡宮は国家管理を離れ、社名も「世田谷八幡宮」に戻されました。その後、昭和39年に社殿が改築され、現在の荘厳な姿となり、地域の鎮守として多くの人々に信仰されています。

24.12.10。先の乗泉寺世田谷別院より徒歩5分。世田谷区宮坂1丁目の閑静な住宅街に鎮座。
《江戸三相撲の名所》
御祭神 応神天皇・仲哀天皇
神功皇后
創建年 寛治5年(1091年)
社格等 旧郷社
【御由緒】〜当宮HPより引用〜
御鎮座は、今から約九百数十年前、第73代堀川天皇の寛治五年、当時朝廷より陸奥(奥州)守として仁ぜられた源義家が、幾多の苦戦を重ねて清原家衡を金沢柵にて攻め平定した、歴史上後三年の役(1087〜94)の世である。
義家は、戦地からの帰途、この世田谷の里にて豪雨に会い、先に進めず天気快復を待つため十数日間滞在する事となった。もとより敬神の念を厚くもつ義家は、今度の戦勝は日頃守神として信仰する八幡大神様の御加護に依るものと深く感謝し、豊前国(大分県)の宇佐八幡宮の御分霊を勧請し、里人にこの御祭神を鎮守神として厚く信仰するよう教えたと言われている。
境内に入ると樹木も多くて都会の中のオアシス的な雰囲気です。又江戸三大相撲の名所としての土俵があるなど見どころもあり、癒される神社様でした。
一の鳥居
参道
境内社 厳島神社
御祭神:市杵島比売命
境内案内図
ニの鳥居
参道
手水舎
花手水
社殿遠景
狛犬
明治11年奉納。
拝殿
お宮参りの方の祈祷中てした。
本殿
イチョウの黄葉が見頃でした。
仮殿
力石
境内社 世田谷招魂社
御祭神:日露戦争、太平洋戦争の戦没者(世田谷区域)
境内社 高良神社
御祭神:高良玉垂命
奥は神楽殿
授与所

豪徳寺に行く途中にあったので せっかくならとお参りしてきました
奉納相撲で有名な世田谷八幡さんです
御朱印
本殿
厳島神社の横には小さい滝
その後ろには土俵がありました
木々に囲まれた 素敵な所でした
東京都のおすすめ3選🎎
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
8
0