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おおたじんじゃ

太田神社
東京都 西馬込駅

御朱印について御朱印
あり

那須与一の例大祭限定御朱印がカッコイイ!

限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

太田神社について

那須与一ゆかりの神社


那須与一の守本尊を御神体としておまつりする神社です。
那須与一が遠くの扇を一発で射抜いた伝説から、一発で成功させなければならない挑戦の時にお参りする「一願必中」の神社として人気です。
合格祈願や勝利祈願には特にご利益があるといわれています。

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こばけん
こばけん
2025年05月19日(月) 12時32分18秒
1325投稿

25.05.16。JR京浜東北線「大森駅」西口よりバスで「池上営業所」下車徒歩5分。大田区中央6丁目の住宅街の高台に鎮座。

主祭神 誉田別命(應神天皇)

合祀神 •竈神社
    (澳津彦神•澳津姫神)
    •稲荷神社
    (宇迦之御魂神) 
    •貴船神社
    (高龗神)

【由緒】〜当社HPより〜
 那須与一公の守本尊をご神体としてお祀りする当社は、古くは「家運八幡宮」とも呼ばれ、与一公にあやかり勝負事を始め、良縁成就、家運興隆など願えば叶わなぬことなしと、多くの人々に厚く信仰されている。
 当社の鎮座年は古記録が戦災により失われため不詳だが、文化文政期の「武蔵風土記」に当社の記載があること、明治初期の神仏分離令以前は近くの長勝寺が別当職についていたこと等から少なくとも300年以上の歳月を経ているものと推察される。

 本日から18日まで例大祭であり、この期間には御朱印頒布があると知り参詣。特にオリジナル御朱印帳が以前より欲しかったこともありましての参詣です。この日は神輿渡御はありませんが、境内に鎮座する神輿は見られ、神輿好きにとっては良き日となりました。

太田神社(東京都)
太田神社(東京都)
太田神社(東京都)

御朱印帳(表)大判サイズ
初穂料1500円

太田神社(東京都)

(裏)

太田神社(東京都)

参道入り口

太田神社(東京都)

鳥居(御影石製)
昭和7年(1932)氏子より奉納。

太田神社(東京都)

参道

太田神社(東京都)

合計63段の石段を昇ります💦

太田神社(東京都)

参道
右側にはボンボリが並んでいます。

太田神社(東京都)

竈!

太田神社(東京都)

稲荷神社

太田神社(東京都)
太田神社(東京都)

手水舎

太田神社(東京都)

水は出ました。

太田神社(東京都)

境内

太田神社(東京都)

狛犬(阿形)

太田神社(東京都)

(吽形)

太田神社(東京都)

拝殿
昭和28年(1953)造営。

太田神社(東京都)
太田神社(東京都)

本殿
平成6年(1994)造営。

太田神社(東京都)

舞殿
神輿

太田神社(東京都)
太田神社(東京都)
太田神社(東京都)

境内より大森駅方向の眺望。

太田神社(東京都)

裏参道

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例祭・神事

5月15日直前の金・土・日曜日(例大祭)

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太田神社の基本情報

住所

東京都大田区中央6-3-24

行き方

都営浅草線西馬込駅東口から徒歩15分
JR大森駅、東急線池上駅より東急バス乗車「池上営業所」下車

アクセスを詳しく見る
名称

太田神社

読み方

おおたじんじゃ

通称

家運八幡宮

御朱印あり

那須与一の例大祭限定御朱印がカッコイイ!

限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号03-3753-4529
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://yoichi.tokyo.jp/
絵馬

あり

SNS

詳細情報

ご祭神《主》誉田別命,《配》奥津彦命,奥津姫命,宇迦御魂命,高命
ご由緒

南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ(『平家物語』より)
 寿永四年(1185)二月、屋島の戦いにて那須与一宗高公が祈念して放った矢は、見事扇を射抜きました。『平家物語』にも描かれるこの逸話は広く知られるところですが、当社は、その那須与一公が守本尊とした神像を御神体として安置し、古来よりその故事に因んで「願えば叶わぬこと無し」と厚く信仰されております。また那須与一公が一本の矢一発で見事扇を射抜いたことから、一度の挑戦をものにしなければならない入学祈願・学業成就祈願、スポーツ競技の勝利祈願などにご利益があるとされて、古くより多くの参拝者が御祈願に訪れます。『学研 歴史群像シリーズ⑬源平の興亡に記述』
 鎮座年月は不詳ですが、文化、文政期に編まれた『新編武蔵風土記』には既に当社の事が奇祭されており、さらに当社保存の明細帳には、天明三年(1783)に氏子三十一戸にて、社殿を再建した記録が残されています。さらに戦前には三百年以上の年輪老松が存在し、大森、羽田方面の漁船の出入の目標にもなっていたこと等から、恐らく当社の創建は三百五十年以上も前に遡るものと推測されています。
 当社は古くは「八幡社」と呼ばれていましたが、明治五年から十年の間に「太田神社」と改称されました。その理由は不詳ですが、『北条分限帳』では、当時の市野倉から六郷までを所有していた太田新六郎の氏神だったことから「太田神社」と改称したと伝えています。さらに太田道灌が江戸城築城の際、この地を候補地とし遊猟の折に検分したためという説も存在し、いずれの説が正しいかは確証がありません。
 明治以前の神仏混淆時代は、覺應山長勝寺が別当として管理していましたが、明治初年の神仏分離以降独立し、現在では上神明天祖神社(品川区)宮司の齊藤泰之氏が太田神社の宮司も兼ねて御奉仕しています。明治四十五年四月二十五日には、周辺にあった竈神社、稲荷神社、貴船神社(貴船神社は元本門寺の鬼門除として東の院に建立した後に長勝寺の境内に遷した)を合祀し、昭和五年八月十一日には旧社殿を移修しましたが、惜しくも昭和二十年五月二十四日の大空襲で、社殿・舞殿とも焼失してしましました。しかし木造衣冠装束の御神体は覺應山長勝寺に安置されていたため、奇跡的に難を免れ現在に至っています。
 戦後間もなく氏子会が結成され、昭和二十八年に拝殿が造営されました。その際、別当寺の覺應山長勝寺に一時的にお遷ししていた御祭神は、旧市野倉町内を巡行した後、真新しい太田神社社殿に遷座されました。その後平成六年に本殿の造営が行われますが、万一の火災に備えて、完全耐火構造の鉄筋コンクリート造りで施工されました。実に空襲による焼失以来四十九年振りの御本殿造営となりました。
 その他境内には、明治三十四年に氏子より奉納された狛犬、昭和七年に氏子により奉納された御影石の鳥居、昭和三十五年に造営された社務所、昭和五十年に造営された神輿倉などがあります。

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