はたがおかはちまんじんじゃ
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旗岡八幡神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年06月16日(日)
参拝:2024年6月吉日
東京都品川区旗の台に鎮座する神社。
長元3年(1030)に源頼信が下総国において発生していた平忠常の乱を平定するため下総に行く途中、この地に宿営し霊威を感得して、この地に八幡大神を奉り戦勝を祈願したのが発祥とされる。当時この地に陣を張り、源氏の白旗をなびかせて武威を大いに誇ったという。そのことが現地名の「旗の台」や「旗岡」の名の由来になっているとされる。
その後、鎌倉時代に入り当地の領主・荏原義宗によって社殿等が建立され、源氏の守護神のみならず地域の鎮守神とした。また荏原義宗は日蓮宗に篤く帰依し、息子を日蓮の高弟・日朗の弟子とさせた。息子は後に朗慶上人となり、荏原氏の館跡に法蓮寺を開山した。この寺院は長く隣接する旗岡八幡神社の別当寺となった。
第二次世界大戦による戦災で拝殿等が焼失した。(絵馬堂のみ残存)
現在の社殿は昭和39年(1964)に再建されたものである。
長元3年(1030)に源頼信が下総国において発生していた平忠常の乱を平定するため下総に行く途中、この地に宿営し霊威を感得して、この地に八幡大神を奉り戦勝を祈願したのが発祥とされる。当時この地に陣を張り、源氏の白旗をなびかせて武威を大いに誇ったという。そのことが現地名の「旗の台」や「旗岡」の名の由来になっているとされる。
その後、鎌倉時代に入り当地の領主・荏原義宗によって社殿等が建立され、源氏の守護神のみならず地域の鎮守神とした。また荏原義宗は日蓮宗に篤く帰依し、息子を日蓮の高弟・日朗の弟子とさせた。息子は後に朗慶上人となり、荏原氏の館跡に法蓮寺を開山した。この寺院は長く隣接する旗岡八幡神社の別当寺となった。
第二次世界大戦による戦災で拝殿等が焼失した。(絵馬堂のみ残存)
現在の社殿は昭和39年(1964)に再建されたものである。
すてき
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竜王1374投稿
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