こんせんじ|高野山真言宗|亀光山(きこうざん)
金泉寺徳島県 板野駅
納経所/7:00~17:00
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楽しみ方
高野山真言宗 亀光山 釈迦院 金泉寺
四国八十八箇所霊場 第3番札所
阿波西国三十三観音霊場 第23番札所
阿波北嶺薬師霊場 第9番札所
四国八十八ヶ所巡礼でお参りさせていただくのはもちろんですが、金泉寺参拝には別にも目的がありました。
境内の倶利伽羅龍王像へのお参りと「黄金の井戸」。
倶利伽羅龍王像はものすごい迫力を感じました。
様々な御利益があるとのことで、色々とお願いしたくなるところですが、敢えて家族が皆健康で過ごせるようにお願いしました。
健康第一ですからね。
そして「黄金の井戸」は倶利伽羅龍王像に興奮して思わず忘れるところでした😅
弘法大師様が掘ったとされる井戸なのですが、中を覗き込み自分の顔がはっきりと映ったら長生きでき、ぼやけたら短命だとか。
源義経が屋島に向かう途中に立ち寄り、戦勝開運の祈願をしたとされています。
そして境内には「弁慶の力石」と呼ばれる巨石があり、これを持ち上げたという伝説があるそうです。
絶対無理でしょ?って思うくらいの巨石でした。
(写真撮ろうと思って完全に失念・・・)
聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、「金光明寺」と命名されたと伝えられる。そのころの本尊は高さ約91センチの釈迦如来像で、脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像を安置して開基したという。弘仁年間(810〜24)になって弘法大師が四国を巡教された際、村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘られた。この井戸から湧き出た水は霊水で、「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺名の「金光明寺」を改め、「金泉寺」とした。その後、亀山天皇(在位1259〜74)が法皇になられ、弘法大師を篤く信仰されて各地の霊跡を巡拝、金泉寺にもしばらく滞在された。
その間に、京都の三十三間堂(蓮華王院)に倣ならった堂舎を建立し、1,000の千手観音像を祀られ、背後の山を「亀山」と命名し、山号も「亀光山」と改めた。この堂舎には経蔵がおかれ、学僧たちで賑わったという。以来、皇室との縁が深く、長慶天皇(在位1368〜83)の御陵も本堂裏にある。また、源平合戦(元暦2年/1185)のおり、源義経が屋島に向かう途中に金泉寺に立ち寄り、戦勝開運の祈願をしたと『源平盛衰記』に伝えられている。本堂の左手にある慈母観音子安大師は、義経の祈願所ではあるが、境内西隣にある「弁慶石」もその一つで、義経が弁慶の力試しに持ち上げさせたと伝えられている。すこやかに育てと願う親心の観音菩薩。いまも人生の開運を願う参詣者が多く訪れる。
| 住所 | 徳島県板野郡板野町大寺亀山下66 |
|---|---|
| 行き方 | 高徳線 板野駅下車 (0.7km)
|
| 名称 | 金泉寺 |
|---|---|
| 読み方 | こんせんじ |
| 参拝時間 | 納経所/7:00~17:00 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | 駐車場にあり |
| 御朱印 | あり 真ん中に梵字と釈尊、左下に金泉寺と書かれ、右上に四国第三番の印、真ん中に梵字の印、左下に金泉寺の印が押されています。 |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 088-672-1087 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 阿波西国三十三観音霊場 第23番 | 御詠歌: 皆人の 願いをかくる 大寺の 仏の誓ひ たのもしきかな |
|---|---|
| 阿波北嶺薬師霊場 第9番 | |
| 四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
| ご本尊 | 釈迦如来 |
|---|---|
| 山号 | 亀光山(きこうざん) |
| 院号 | 釈迦院(しゃかいん) |
| 宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
| 創建時代 | 天平年間(729〜749) |
| 開山・開基 | 行基菩薩 |
| 文化財 | 【板野町指定史跡】「金泉寺」 |
| ご由緒 | 聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、「金光明寺」と命名されたと伝えられる。そのころの本尊は高さ約91センチの釈迦如来像で、脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像を安置して開基したという。弘仁年間(810〜24)になって弘法大師が四国を巡教された際、村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘られた。この井戸から湧き出た水は霊水で、「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺名の「金光明寺」を改め、「金泉寺」とした。その後、亀山天皇(在位1259〜74)が法皇になられ、弘法大師を篤く信仰されて各地の霊跡を巡拝、金泉寺にもしばらく滞在された。 その間に、京都の三十三間堂(蓮華王院)に倣ならった堂舎を建立し、1,000の千手観音像を祀られ、背後の山を「亀山」と命名し、山号も「亀光山」と改めた。この堂舎には経蔵がおかれ、学僧たちで賑わったという。以来、皇室との縁が深く、長慶天皇(在位1368〜83)の御陵も本堂裏にある。また、源平合戦(元暦2年/1185)のおり、源義経が屋島に向かう途中に金泉寺に立ち寄り、戦勝開運の祈願をしたと『源平盛衰記』に伝えられている。本堂の左手にある慈母観音子安大師は、義経の祈願所ではあるが、境内西隣にある「弁慶石」もその一つで、義経が弁慶の力試しに持ち上げさせたと伝えられている。すこやかに育てと願う親心の観音菩薩。いまも人生の開運を願う参詣者が多く訪れる。 |
| 体験 |
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