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焼山寺ではいただけません
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しょうさんじ

焼山寺のお参りの記録(1回目)
徳島県学駅

投稿日:2023年05月05日(金)
参拝:2023年4月吉日
【摩盧山(まろざん)正寿院(しょうじゅいん)焼山寺(しょうさんじ)】
本尊:虚空蔵菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:役行者小角
 焼山寺は、大宝年間(701-704)に役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)が山を開き、蔵王権現を祀ったのがはじまりといわれている。寺伝によると、この焼山寺山(標高938m)には火を噴く毒蛇がいて村人を困らせていた。山中で修法していた弘法大師(774-835)は虚空蔵菩薩の力を借りて退治し、虚空蔵菩薩を彫って本尊にしたという。このとき火の海と化した山の様相が寺名の由縁となっている。大蛇を封じ込めた岩窟は今も奥之院へ登る途中に残っている。
焼山寺の山門
【12_T.Hamada's view】
 仁王門
焼山寺(徳島県)
【12_大蛇を閉じ込めた岩窟】
 標高700m付近に立つ難所の山寺。災いをもたらす大蛇が現れたため、弘法大師が封じ込めたとされている。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
焼山寺(徳島県)
【12_本堂】
焼山寺(徳島県)
【12_大師堂】
焼山寺の像
【12_仁王阿形像】
焼山寺(徳島県)
【12_仁王吽形像】
焼山寺(徳島県)
【12_参道の杉】
 樹齢数百年の杉の巨木が人々を見守っている。
焼山寺(徳島県)
【12_鐘楼】
 本堂の鐘は、松平阿波守忠英(ただてる)朝臣(あそん)(蜂須賀2代目藩主)が1649(慶安2)年に寄進されたもので、当時2つの鐘を造り、1つを本寺に、いま1つを徳島市内の某寺に寄進されたそうである。本寺の鐘はつけば殷々たる響きは徳島市内まで届いたという。もう1つの市内のものは少しも良い音を出さず、蜂須賀公は人を使わして本寺の鐘と変えたいと申されたという。しかし鐘は「いなーん いなーん」と鳴って、それは果たされなかった。また、太平洋戦争時の供出の命に対し、鐘を馬車に積んだけれども馬が腹痛でもだえ苦しみ、運ぶことを断念し他の器物を運んだという。今は2代目の鐘が響いている。
焼山寺(徳島県)
【12_三面大黒天】
 中央に大黒天、右面に毘沙門天、左面に弁財天の像が安置されている。
焼山寺(徳島県)
【12_奥之院への路】
 杉の巨木が並ぶ。
焼山寺(徳島県)
【12_大蛇封じ込めの岩】
 焼山寺境内から約15分。
焼山寺(徳島県)
【12_奥之院】
 奥之院(蔵王大権現)へは、焼山寺境内から1.1㎞、往復1時間程度かかる。奥之院は焼山寺山の山頂にある。奥之院より5分程手前に奥之院と思ってしまいそうな祠があるので間違わないように。
焼山寺(徳島県)
【12_杖杉庵(じょうしんあん)】
 焼山寺から車道を2.7㎞ほど下がると四国お遍路の元祖と言われる衛門三郎(えもんさぶろう)の御堂があり、衛門三郎は京都御室から「光明院四行八蓮大居士」の戒名が贈られこの地に祀られている。四国霊場第51番 石手寺は、衛門三郎伝説の寺。
焼山寺(徳島県)
【12_弘法大師出現所】
 衛門三郎が弘法大師から許しを得る姿の像。
焼山寺(徳島県)
【12_左右内(そうち)の一本スギ】
 弘法大師が焼山寺へ向かう途中、木の根を枕に仮眠したところ、夢に阿弥陀如来が現れたので、尊像を刻みお堂を建立して安置した。その時にお手植えした杉であるとの伝説がある。(樹周 7.62m 樹高 約30m 樹冠 東西16.1m 南北 14.8m)
 藤井寺から焼山寺へ向かう遍路道にある。静寂の中に鳥のさえずりと遠くの寺の鐘の音が聞こえる。車でも行くことは可能だが、残り2㎞は、コンクリートで舗装しているものの急勾配で離合が難しいので注意。
焼山寺の御朱印

すてき

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