やまざきいんべじんじゃ
山崎忌部神社のお参りの記録一覧
阿波国麻殖郡の名神大社の論社です。忌部山の麓に鎮座しており、阿波忌部氏が麻の育つ地を探してこの地に辿り着いたと言われています。この麻の生産は今現在も行われているようで、神社だけでなく土地も古くからの生業を残す貴重な場所です。
《鳥居》
雨上がりはめっちゃ滑ります。
《表参道》
獅子狛犬像が待っています。
《記念碑》
忌部神社正蹟と書かれています。忌部神社の所在が分からなくなって、当社がその論社に最初に挙がって太政官布告によって国幣小社になったこともありました。
《手水舎》
蛇口式でした。
《拝殿》🙏
簡素ですが綺麗にされています。
《本殿》
切妻造です。
《由緒書き》
元々はより山の中にあったようです。そっちの方が麻植えてそうではあります。
《大嘗祭奉納記念碑》
👁チェックポイント‼️
この神社は現在でもとても大きなお役目を負っています。それが大嘗祭の際に奉納する「麁服」を当社の氏子さんたちが調進しているのです。麻の栽培を生業にしている一族の祖神が現在もこうして伝統文化として継承しているのは大変貴重です。
延喜式内名神大社(阿波國麻殖郡/忌部神社、名神大、月次新嘗、)、旧国幣中社です。
式内社忌部神社の比定については昔から論争があり、当社以外に、現在徳島県つるぎ町貞光に鎮座する「御所神社」であるとする説もあり、地区間の論争が激しくなったため、明治14年に太政官は、山崎忌部でもなく貞光御所でもなく、現在の徳島市二軒屋町に新たに忌部神社を創祀遷座して、その忌部神社を式内社の後継としたとのことです。
令和の大嘗祭に「麁服(あらたえ)」を調進した三木家は、山崎忌部神社を式内社忌部神社として比定されているようです。
古来より、天皇即位後の大嘗祭において大嘗宮の由貴殿・主基殿に供えられる麻の織物である麁服は、阿波國の忌部氏が御殿人(みあらかんど)として調進してきています。
現在、徳島県美馬市小屋平に阿波忌部直系の三木家が現存し、その三木家が、途絶えていた麁服の調進を大正時の大嘗祭に復活させ、その後昭和・平成・令和と続けてこられました。
今回の令和では、木屋平の三木家の前に栽培畑を造り、平成31年4月に大麻の種まき、令和元年7月に大麻の収穫、その後糸を紡ぎ、9月2日に山崎忌部神社の氏子らでつくる「阿波忌部麁服調進推進協議会」に託され、9月から織りはじめ10月に反物として仕上げられ、10月26日に三木家へ運ばれ、10月27日に三木家において神事が行われ、再び忌部神社に向かい、その数日後皇居に向かったようです。
私が参拝したのは平成26年でしたので、平成の大礼時の石碑が建てられていました。
また、平成29年には三木家住宅に御邪魔しました。
往古の伝統が現在に引き継がれており素晴らしいです!!
感謝です!!拝。
平成29年5月に参りました。三木家住宅(国指定重要文化財)です。現在も阿波忌部直系の三木信夫様が住んでいらっしゃいます。国の重要文化財に住まわれているため、その保全などいろいろとご苦労されていらっしゃるかと思います。感謝です!!拝。
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