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やまざきいんべじんじゃ

山崎忌部神社のお参りの記録一覧
徳島県 山瀬駅

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to_sun
to_sun
2025年08月03日(日)691投稿

【忌部神社(いんべじんじゃ)】
 忌部神社は、徳島県吉野川市山川町忌部山に鎮座します。別名は山崎忌部神社(やまさきいんべじんじゃ)。忌部神社の論社。当社とつるぎ町の忌部神社(現:御所神社)の間で明治期に忌部神社の正蹟論争が繰り広げられ、決着が着かず妥協案として全く別の土地である徳島市二軒屋町の忌部神社に決定されました。
 徳島には、古代から阿波忌部氏により、天皇の代替わりに行われる需要な儀式である大嘗祭(だいじょうさい)の供饌(きょうせん)の儀で供えられる麁服(あらたえ)を準備して来たという歴史がありました。途中、南北朝の戦乱から大嘗祭は途絶えていましたが、江戸時代1687年、第113代 東山天皇の時に復活します。このとき、阿波忌部氏の麁服調達はありませんでした。明治になり新たな国づくりが進む中で、徳島では麁服調達の復活に県をあげて熱心に取り組み、大正天皇の大嘗祭に実現することになりました。これまで、大正、昭和、平成の大嘗祭に徳島から麁服を届け、令和の大嘗祭には、美馬市木屋平で、麻を育て糸に紡ぐまでを行い、山川町山崎忌部神社の織殿で織って、2019(令和元)年10月29日に皇居へ供納しています。

-祭神ー
①天日鷲翔矢尊(あまひわしかけるやのみこと)…天日鷲命(あめのひわしのみこと)。阿波忌部氏の祖神。天照大神が天岩戸に隠れた際に、木綿で幣(へい)を作ったと伝えられ、麻や木綿の栽培、紡績の神として信仰されている。

山崎忌部神社(徳島県)

【拝殿】

山崎忌部神社(徳島県)

【由緒】

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裕遊抄uusho
裕遊抄uusho
2020年01月31日(金)1356投稿

延喜式内名神大社(阿波國麻殖郡/忌部神社、名神大、月次新嘗、)、旧国幣中社です。
式内社忌部神社の比定については昔から論争があり、当社以外に、現在徳島県つるぎ町貞光に鎮座する「御所神社」であるとする説もあり、地区間の論争が激しくなったため、明治14年に太政官は、山崎忌部でもなく貞光御所でもなく、現在の徳島市二軒屋町に新たに忌部神社を創祀遷座して、その忌部神社を式内社の後継としたとのことです。
令和の大嘗祭に「麁服(あらたえ)」を調進した三木家は、山崎忌部神社を式内社忌部神社として比定されているようです。
古来より、天皇即位後の大嘗祭において大嘗宮の由貴殿・主基殿に供えられる麻の織物である麁服は、阿波國の忌部氏が御殿人(みあらかんど)として調進してきています。
現在、徳島県美馬市小屋平に阿波忌部直系の三木家が現存し、その三木家が、途絶えていた麁服の調進を大正時の大嘗祭に復活させ、その後昭和・平成・令和と続けてこられました。
今回の令和では、木屋平の三木家の前に栽培畑を造り、平成31年4月に大麻の種まき、令和元年7月に大麻の収穫、その後糸を紡ぎ、9月2日に山崎忌部神社の氏子らでつくる「阿波忌部麁服調進推進協議会」に託され、9月から織りはじめ10月に反物として仕上げられ、10月26日に三木家へ運ばれ、10月27日に三木家において神事が行われ、再び忌部神社に向かい、その数日後皇居に向かったようです。
私が参拝したのは平成26年でしたので、平成の大礼時の石碑が建てられていました。
また、平成29年には三木家住宅に御邪魔しました。
往古の伝統が現在に引き継がれており素晴らしいです!!
感謝です!!拝。

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