やまざきいんべじんじゃ
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楽しみ方山崎忌部神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年08月03日(日) 09時27分02秒
参拝:2025年8月吉日
【忌部神社(いんべじんじゃ)】
忌部神社は、徳島県吉野川市山川町忌部山に鎮座します。別名は山崎忌部神社(やまさきいんべじんじゃ)。忌部神社の論社。当社とつるぎ町の忌部神社(現:御所神社)の間で明治期に忌部神社の正蹟論争が繰り広げられ、決着が着かず妥協案として全く別の土地である徳島市二軒屋町の忌部神社に決定されました。
徳島には、古代から阿波忌部氏により、天皇の代替わりに行われる需要な儀式である大嘗祭(だいじょうさい)の供饌(きょうせん)の儀で供えられる麁服(あらたえ)を準備して来たという歴史がありました。途中、南北朝の戦乱から大嘗祭は途絶えていましたが、江戸時代1687年、第113代 東山天皇の時に復活します。このとき、阿波忌部氏の麁服調達はありませんでした。明治になり新たな国づくりが進む中で、徳島では麁服調達の復活に県をあげて熱心に取り組み、大正天皇の大嘗祭に実現することになりました。これまで、大正、昭和、平成の大嘗祭に徳島から麁服を届け、令和の大嘗祭には、美馬市木屋平で、麻を育て糸に紡ぐまでを行い、山川町山崎忌部神社の織殿で織って、2019(令和元)年10月29日に皇居へ供納しています。
-祭神ー
①天日鷲翔矢尊(あまひわしかけるやのみこと)…天日鷲命(あめのひわしのみこと)。阿波忌部氏の祖神。天照大神が天岩戸に隠れた際に、木綿で幣(へい)を作ったと伝えられ、麻や木綿の栽培、紡績の神として信仰されている。
忌部神社は、徳島県吉野川市山川町忌部山に鎮座します。別名は山崎忌部神社(やまさきいんべじんじゃ)。忌部神社の論社。当社とつるぎ町の忌部神社(現:御所神社)の間で明治期に忌部神社の正蹟論争が繰り広げられ、決着が着かず妥協案として全く別の土地である徳島市二軒屋町の忌部神社に決定されました。
徳島には、古代から阿波忌部氏により、天皇の代替わりに行われる需要な儀式である大嘗祭(だいじょうさい)の供饌(きょうせん)の儀で供えられる麁服(あらたえ)を準備して来たという歴史がありました。途中、南北朝の戦乱から大嘗祭は途絶えていましたが、江戸時代1687年、第113代 東山天皇の時に復活します。このとき、阿波忌部氏の麁服調達はありませんでした。明治になり新たな国づくりが進む中で、徳島では麁服調達の復活に県をあげて熱心に取り組み、大正天皇の大嘗祭に実現することになりました。これまで、大正、昭和、平成の大嘗祭に徳島から麁服を届け、令和の大嘗祭には、美馬市木屋平で、麻を育て糸に紡ぐまでを行い、山川町山崎忌部神社の織殿で織って、2019(令和元)年10月29日に皇居へ供納しています。
-祭神ー
①天日鷲翔矢尊(あまひわしかけるやのみこと)…天日鷲命(あめのひわしのみこと)。阿波忌部氏の祖神。天照大神が天岩戸に隠れた際に、木綿で幣(へい)を作ったと伝えられ、麻や木綿の栽培、紡績の神として信仰されている。

【拝殿】

【由緒】

【忌部神社正蹟の碑】

【拝殿・狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【手水舎】


【拝殿】

【拝殿 扁額】

【拝殿 内殿】
神紋は、つるぎ町の忌部神社が、梶紋であるのに対し、祭神・天日鷲命が植えた、もう一つの植物である麻。
神紋は、つるぎ町の忌部神社が、梶紋であるのに対し、祭神・天日鷲命が植えた、もう一つの植物である麻。

【機織り機】

【唐櫃(からひつ)】

【本殿】

【麁服(あらたえ)製織記念碑】

【麁服(あらたえ)製織記念碑】

【社殿】

すてき
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