びょうどうじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
平等寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年11月21日(火)
参拝:2023年11月吉日
憧れの四国八十八霊場巡り 3日目最後のお参りです。
22番札所のお寺です。
21番までは山の奥のお寺だったのですが ようやく平地の町中に戻ってきました。
山門横にコスモスが美しく咲いています。秋です。
訪れたのは11月5日の夕刻だったのですが ちょうど焼八千枚供のライブ配信が終わろうとしている時刻でした。
ご住職による説法を少しだけ聴くことができました。
オンライン発信をされていたとのことで スケジュールを見て驚きました。
写真を撮ったのでご覧ください。
山門(仁王門)から五色の布が本堂まで伸びています。
これは由緒にもあるように お大師様がめい想にふけっていると 五色の光と共に空中に梵字が現れ 梵字は次第に姿を変えて薬師如来となったと伝わることに由来しているのでしょう 結縁の綱です。
大師堂・護摩堂・観音堂・白水の井戸・鐘楼と 歴史を感じる建物も多いです。
裏山がミニ八十八霊場巡りコースになっていましたが 少しうっそうとした道だったことと 時刻がもうそこそこ遅かったのでやめにしました。
ライブ配信のためか お遍路さんがとても多く 外国からのお客様も見られました。
そうそう 四国のこの八十八霊場巡りは 京都に比べれば多くないですが どこでも外国からのお客様を見かけます。
外国でも有名なのですね。
ぜひ世界文化遺産に登録していただきたいものです。
こうして3回目の巡礼は終わりになりました。
帰りは淡路SAで夕食。
今夜も夜景を楽しみました。
山号は白水山
院号は医王院(醫王院)
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌:平等にへだてのなきと聞く時は あら頼もしき仏とぞみる
でした。
由緒についてはHPに
平等寺は弘仁5年(814)に弘法大師空海がお開きになった寺院です。
空海は同年に四国を巡錫し始め 四国の右下・徳島県阿南市新野町に到着します。
そこで清らかな水を求めて井戸を掘ったところ乳白色の水が涌いたことから この地が密教の修行に適した地であると感じられたお大師さまは しばし歩みを止められこの新野町に滞在なされました。
ある時めい想にふけっていると 五色の光と共に空中に梵字が現れ 梵字は次第に姿を変えて薬師如来となったと伝わります。
そのお姿をお手本とし 一刀三礼して木に刻んだのが 弘法大師御作の平等寺本尊 本尊薬師です。
お大師さまは彫刻した仏さまを本尊として安置し この薬師如来の功徳によって「人々の苦しみを平等に癒やし去る」と誓いを立て 寺号を「平等寺」とされました。
百日間の護摩行を行い 翌年(弘仁6年・815年)になって四国巡錫を再開されました。
かつては七堂伽藍と12の末寺を持つほど栄えていましたが 天正年間(1573年~1592年)にはやっぱり長宗我部元親の兵火によって焼失 享保年間(1716年~1736年)にようやく再興されました。
とありました。
22番札所のお寺です。
21番までは山の奥のお寺だったのですが ようやく平地の町中に戻ってきました。
山門横にコスモスが美しく咲いています。秋です。
訪れたのは11月5日の夕刻だったのですが ちょうど焼八千枚供のライブ配信が終わろうとしている時刻でした。
ご住職による説法を少しだけ聴くことができました。
オンライン発信をされていたとのことで スケジュールを見て驚きました。
写真を撮ったのでご覧ください。
山門(仁王門)から五色の布が本堂まで伸びています。
これは由緒にもあるように お大師様がめい想にふけっていると 五色の光と共に空中に梵字が現れ 梵字は次第に姿を変えて薬師如来となったと伝わることに由来しているのでしょう 結縁の綱です。
大師堂・護摩堂・観音堂・白水の井戸・鐘楼と 歴史を感じる建物も多いです。
裏山がミニ八十八霊場巡りコースになっていましたが 少しうっそうとした道だったことと 時刻がもうそこそこ遅かったのでやめにしました。
ライブ配信のためか お遍路さんがとても多く 外国からのお客様も見られました。
そうそう 四国のこの八十八霊場巡りは 京都に比べれば多くないですが どこでも外国からのお客様を見かけます。
外国でも有名なのですね。
ぜひ世界文化遺産に登録していただきたいものです。
こうして3回目の巡礼は終わりになりました。
帰りは淡路SAで夕食。
今夜も夜景を楽しみました。
山号は白水山
院号は医王院(醫王院)
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は薬師如来
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
ご詠歌:平等にへだてのなきと聞く時は あら頼もしき仏とぞみる
でした。
由緒についてはHPに
平等寺は弘仁5年(814)に弘法大師空海がお開きになった寺院です。
空海は同年に四国を巡錫し始め 四国の右下・徳島県阿南市新野町に到着します。
そこで清らかな水を求めて井戸を掘ったところ乳白色の水が涌いたことから この地が密教の修行に適した地であると感じられたお大師さまは しばし歩みを止められこの新野町に滞在なされました。
ある時めい想にふけっていると 五色の光と共に空中に梵字が現れ 梵字は次第に姿を変えて薬師如来となったと伝わります。
そのお姿をお手本とし 一刀三礼して木に刻んだのが 弘法大師御作の平等寺本尊 本尊薬師です。
お大師さまは彫刻した仏さまを本尊として安置し この薬師如来の功徳によって「人々の苦しみを平等に癒やし去る」と誓いを立て 寺号を「平等寺」とされました。
百日間の護摩行を行い 翌年(弘仁6年・815年)になって四国巡錫を再開されました。
かつては七堂伽藍と12の末寺を持つほど栄えていましたが 天正年間(1573年~1592年)にはやっぱり長宗我部元親の兵火によって焼失 享保年間(1716年~1736年)にようやく再興されました。
とありました。
山門横にコスモスが
山門(仁王門)
石柱
石柱
準別格本山でした
金剛力士 阿 なぜだか右側しか撮っていませんでした
鐘楼
修行大師像
手水舎
水子地蔵
千手観音?
本堂に続く階段
本堂
ライブ配信中のご住職
本堂内陣
天井絵
天井絵
内陣正面
涅槃図
ご本尊 薬師瑠璃光王如来について
焼八千枚供 スケジュール
護摩堂 不動明王堂
白水山 ミニ八十八カ所巡拝道
山に入っていくので 止めにしました
本堂
観音堂
大師堂
大師堂内陣
納経所
恋人たちの道とやら
ハート形はおきまりですか
日本発祥の地 と
明石海峡大橋も美しい
すてき
みんなのコメント(2件)
えりか
はじめまして。
コメントフォローありがとうございます😊
ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。
くるくるきよせんさんの投稿に心惹かれましてフォローさせていただきました。
奈良県在住です。
初心者ですがどうぞよろしくお願いいたします!
2023年11月22日(水)
えりかさん コメントありがとうございます。
奈良県の方でしたか。
最近はお参りできていないのですが 奈良も大好きです。
近く 西国三十三霊場巡りでお参りしようとは考えています。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
コメント嬉しかったです。
2023年11月22日(水)
投稿者のプロフィール
くるくるきよせん2023投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。