りょうぜんじ
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霊山寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月28日(日)
参拝:2023年2月吉日
【四国八十八ヶ所札所巡り①】
霊山寺(りょうぜんじ)は、徳島県鳴門市大麻町坂東塚鼻にある高野山真言宗の別格本山の寺院。山号は竺和山(じくわざん)、院号は一乗院(いちじょういん)。本尊は釈迦如来。四国八十八ヶ所1番札所・発願寺。
寺伝によると、奈良時代の天平年間(729年~748年)に聖武天皇(在位729年~748年)の勅願寺として行基菩薩が開基。平安時代初期の815年に弘法大師が当寺で37日間の修法を行い、四国八十八箇所の霊場を開くことを祈願、釈迦如来を感得し自らその尊像を彫像して本尊とした。修法の際、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み熱心に耳を傾けている光景が、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じ取り、インドの霊山を和国(日本)に移すという意味で「竺和山霊山寺」と命名された。往時は阿波三大坊の一つとされ荘厳な伽藍を誇ったが、桃山時代の1582年に長宗我部元親の兵火で堂塔を全焼した。江戸時代に入り、阿波藩主・蜂須賀光隆により復興されたが、明治時代の1891年に本堂と多宝塔以外の堂宇をすべて焼失。百年かけて復興された。
当寺は、JR高徳線・坂東駅の北西500mの、主要道路の県道12号線に面した平地にある。樹木に覆われた境内はそこそこの広さだが、たくさんの伽藍や仏像、池を中心にした庭園がぎゅっと集約されていて、見どころがコンパクトに詰まっている。あと、これから四国八十八霊場巡りをする人にとっては、巡礼用品が揃っている当寺納経所での用品購入も楽しみの一つ。どのぐらい「お遍路さん」になり切るかは、ここでの用品準備次第。自分たちの場合、輪袈裟と頭陀袋にとどめ、菅笠と金剛杖は荷物になるのでパスすることにした。
今回は、念願の四国八十八ヶ所札所巡りをスタートするために参拝した。晴れた休日ということもあり、多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口の<仁王門>。ここから、いよいよ四国八十八霊場巡礼スタート!(o^―^o)
左側の<吽形仁王像>。リアリティのある造形。
右側の<阿形仁王像>。いまにも動き出しそう。
仁王門をくぐったところからの眺め。ここで本堂、大師堂の参拝前に<納経所>で<お遍路グッズ>を調達する。
(それにしても、一番札所になぜパンダ???(^_^;))
(それにしても、一番札所になぜパンダ???(^_^;))
こちらが境内右手(東側)にある<納経所>。この前は広い駐車場。
納経所の入口にずっと立ち尽くしている<お遍路さんモデル>。
ネットで四国八十八霊場巡礼の下調べをすると、必ず写真が出てくる有名人。(^_^;)
ネットで四国八十八霊場巡礼の下調べをすると、必ず写真が出てくる有名人。(^_^;)
購入した<お遍路グッズ>の一部。これ以外には、納経帳、御本尊御影保存帳、輪袈裟、白衣、山谷袋などを購入。
この程度のライトなお遍路仕様でも、諭吉さん数枚は必要。(;゚Д゚)
この程度のライトなお遍路仕様でも、諭吉さん数枚は必要。(;゚Д゚)
納経所のある駐車場から、仁王門前に戻る通路にある<鳥居>。「発心」の扁額に心が引き締まる。
ふたたび仁王門をくぐって、参道左側にある<手洗>。
手洗の左側に立つ<縁結び観音>。
手洗そばの<鐘楼>。
手洗の右手にある<多宝塔>。
参道右側の<池>。
参道右側奥にある<大師堂>。
<大師堂>正面。上部中央には「弘法」の扁額。
大師堂そばの日本庭園内にある像。定番の笠は被っていないけど<大師像>かな?(。´・ω・)?
参道左側の<十三仏堂>。
参道進んで、左側にある<不動明王堂>。
内部の<不動明王像>。
参道突き当りにある<本堂>。
本堂入口上部。扁額の字が読めない...(^_^;)
本堂内に入って、上部に並ぶ<吊り灯籠>。
本堂から振り返って境内全景。
本堂右側にある臨時納経所の<お遍路モデル>。こちらの方は、ネットでの露出はほとんどないマイナーキャラ。(^_^;)
御朱印はこちらではなく、駐車場横の納経所にて。
御朱印はこちらではなく、駐車場横の納経所にて。
最後に、当寺を紹介する際によく引用される<本堂>内部。これだけ吊り灯籠が並ぶと壮観。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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