高野山真言宗八葉山
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楽しみ方東林院(種蒔大師)のお参りの記録一覧

こちら東林院のある大谷の地は 昔から焼き物が盛んな地です。
窯元もいくつもおあり 大谷焼だけというわけではないですが 店先には大きな大きなかめが目立ちます。
大谷焼と呼ばれる焼き物の特徴は 素朴な風合いを醸し出す土と 「寝ろくろ」(寝て足でろくろを回す)と呼ばれる製法にあります。
私は 矢野陶苑さんの還元焼成の器が好きです。
さて東林院は徳島県鳴門市にあるお寺です。
四国八十八箇所霊場第一番札所奥の院です。
以前八十八霊場巡りをした際に すぐ近くの奥の院にはお参りしていたのですが こちらは少し離れていたこともあり未参拝でした。
駐車場もあり参拝しやすいお寺です。
車を停めると 目の前にある小さなお店のお母さんがちらちらとこちらを見てきます。
有料?いえちがいます。
なんじゃろなぁと思いながら境内に入っていきました。
すぐ右手に不思議な建物がありました。
壁面がドットのような格子戸の建物 弥勒堂です。
ドットから中を覗き込むと 弥勒菩薩坐像がありました。
奥に進むと 道沿いに絵のかかれた石板が3枚。
種蒔大師絵詞というもので 弘法大師が当地で農作業をしながら民衆に教えを説いたことを伝えています。
つきあたりには大師堂がありました。
八十八霊場にはすべて大師堂がありますが 奥の院にも必ずあるのでしょうね。
まずはこちらで合掌。
大師堂の前には比較的新しい十三佛がいました。
またすぐ近くに 滅悪不動尊と七福神もいました。
大師堂のお隣には薬師堂があります。
こちらでも合掌。
薬師堂が本堂らしいのですが 大師堂の方が大きくて立派でした。
さらに 本坊はもっと大きくて立派でした。
納経所に向かう途中 不思議なオブジェを見つけました。
両手で火を守るような仕草に見えます。
これは原爆の火です。
1990年より霊山寺で灯されていたが2010年に終了し その後 2012年8月6日より当寺で原爆の火が灯されることとなったそうです。
(個人で原爆の火を形見として守ってきた方から受け継いだもの)
納経所で御朱印をいただき 駐車場に戻ったところ 先ほどのお母さんがまたちらちらと見てきます。
よくよくお店を見てみると 「接待」の文字が見えます。
あぁそうか。接待してくださるお店だったんだ。
クーラーの効いた店の中で冷たいお茶をいただけました。
私と妻はアイスコーヒーを注文しましたら お菓子を無料でいただけました。
接待ありがとうございました。
ネット情報です。
山号は八葉山 院号は東林院 宗旨は高野山真言宗 ご本尊は薬師如来・愛染明王 創建年は伝・天平5年(733年) 開山は伝・行基 四国八十八箇所1番奥の院・新四国曼荼羅霊場1番・阿波北嶺薬師霊場16番札所です。
かつては 薬王寺・太龍寺・鶴林寺・隆禅寺・神応寺・瑞川院・荘厳院と並ぶ阿波国八門首(阿波八本寺)の一寺院に数えられ 末寺16か寺を持つ大寺であった。
平安時代前期の大同3 – 4年(808年 – 809年)に空海(弘法大師)がここを訪れ 住民に真言の教えを伝えるとともに農業振興を奨励したと言われる。
伝承によれば 空海自ら鍬を取り米・麦の種を蒔き 災害の調伏を行ったとされ これにより当寺院は「種蒔弘法大師」と称されるようになった。
江戸時代前期の元禄13年(1700年)前後に大火に遭い伽藍の大半を焼亡した。
これ以後 寺院は縮小した。
なお 東林院には大谷焼の陶祖の文右衛門の墓として窯業関係者の間で大切にされてきた墓があるが 大谷焼研究家の豊田進の調査によって萬七の墓であることがわかり 大谷焼の陶祖は萬七であることが判明している(萬七と文右衛門が同一人物かは分かっていない)。
毎年11月の第2土曜日・日曜日に境内において 陶器市「大谷焼 窯まつり」が行なわれる。

山門はありません

弥勒堂

鐘楼

種蒔弘法大師 絵詞



種蒔弘法大師の由来

沙羅双樹

阿波北嶺薬師第16番霊場

十三佛

大師堂

拝所


滅悪不動尊

七福神

本堂 薬師堂

ご真言

内陣

薬師如来縁起


東林院略縁起


役行者座像

平和の火のモニュメント

原爆の火です

本坊

納経所

お参りしました🙏
四国霊場第1番霊山寺奥の院
前日雨が降ったので境内の新緑がキラキラしてとても美しかったです☺️
境内には住職さま曰く
あまり開いてないかわいいお寺cafeがありました
近くの ちょっとよっ亭でお昼ご飯食べてデザート食べに帰ってきたら?と教えてくれたけど
ちょっとよっ亭は残念ながら営業時間外
なのでcafeに直行😋
小さな店内はすぐに満席になり境内を眺めながら順番を待つ人たち
人の集まるお寺さまなんだなとなんだかほのぼの
写真を撮っていると住職さまが梵字の般若心経を持ってきてプレゼントしてくださいました😆
ありがとうございます☺️












お部屋に貼って読んでるけど全然覚えられない笑

東林院 四国霊場霊山寺奥の院

東林院 四国霊場霊山寺奥の院

東林院 四国霊場霊山寺奥の院

東林院 四国霊場霊山寺奥の院

東林院 四国霊場霊山寺奥の院

高野山真言宗 八葉山 東林院
四国八十八ヶ所霊場第一番札所 奥之院
新四国曼荼羅霊場 第一番札所
阿波北嶺薬師霊場 第十六番札所
ようやく一日まとまった時間ができたため、お遍路に行かなければ!と思い、朝早くに自宅を出発し明石大橋・大鳴門橋を渡って徳島県入りしました。
日帰りなのでかなりバタバタのスケジュールだったのですが、一番霊山寺へ行く前に奥之院である東林院さんに立ち寄らせていただきました。
本来なら東林院さんにお参り後、前札所の十輪寺さんを経て霊山寺へと向かいたかったのですが、今回は時間の都合もあり参拝は断念しました。
奥之院と聞くと山の中にあるイメージを勝手に持っているんですが、とても開けたところにあり広々としたところでした。
本堂はとても大きく新しい印象でした。
希望をすれば国指定重要文化財の弥勒菩薩坐像の拝観をさせていただけるようです。
また本坊にてご住職のお話しや御詠歌を聞かせていただけるとのことでした。
御本尊 薬師如来、愛染明王
御詠歌
種蒔きし 稲穂みのりて 栄えゆく 大師の恵み 仰げもろびと
<歴史>パンフレットより
当院は、天平五年(733年)に行基によって開基されたと伝わります。その後、大同年間(806~810年)に弘法大師空海が御巡錫されて以来、真言密教の寺として紆余曲折がありながらも護持されてきました。(以下省略)


山門等はないようで、入り口はとても開かれた感じです


正面に大師堂が見えますが、まずは左手にある本堂へ。

本堂





本堂前の行基菩薩像

平和の火のモニュメント


西開行者像と一願観世音菩薩

鐘楼

大師堂


大師堂内


賓頭盧尊者
こちらのおびんづるさまは、学問の仏様なのだそうです

十三佛御尊像

薬師堂

大師堂前の弥勒菩薩像

納経所前にあるパンダの滑り台
思わずかわいらしくて写真を撮ってしまいました😅

【八葉山(はちようざん)東林院(とうりんいん)神宮寺(じんぐうじ)】
本尊:薬師如来・愛染明王
宗派:高野山真言宗
開山:行基
東林院は、徳島県鳴門市大麻町大谷に位置します。東林院は、奈良時代の733(天平5)年に行基によって建立されたと伝えられています。平安時代808-809(大同3-4)年に弘法大師(774-835)がここを訪れ、住民に真言の教えを伝えるとともに農業振興を奨励したと言われています。伝承によれば、弘法大師自ら鍬を取り米・麦の種を蒔き、災害の調伏を行ったとされ、これにより当寺院は「種蒔弘法大師」と称されるようになりました。
四国霊場第1番札所霊山寺の奥の院。
訪れた日は、大法会(だいほうえ)という行事が行われる日でした。大法会とは、命を繋げてくれたご先祖さまたちと仏さまに感謝の気持ちを表わし、また安心して暮らしていけるよう願いを込めて祈る真言宗最大の行事だそうです。

【弥勒菩薩】



【本坊】
愛染明王が祀られています。



【一願観世音菩薩】


【弥勒堂】

【鐘楼】

【大師堂】





【種蒔大師】


【弥勒菩薩】

【本堂】
薬師如来が祀られています。

【修行大師】


【滅悪(めったく)不動尊】


東林院 参拝日 令和5年4月22日
四国霊場奥の院霊山寺奥の院・東林院の御朱印と新四国曼荼羅霊場第一番の御朱印を頂きました

本堂

鐘楼

一願観音

西開行者像

霊山寺奥の院・東林院の御朱印

新四国曼荼羅霊場第一番の御朱印
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