にょらいじ|浄土宗|星顕山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方如来寺のお参りの記録一覧

お寺の右手に駐車場があります。
山門を入って左手に観音堂、正面奥に本堂、本堂右手に寺務所があります。
お書入れいただける観音様の御朱印のほか、書置きの御朱印がありました。
(御朱印第1636号)

直書き


本堂

観音堂

輪王寺・常行堂の次に如来寺を参拝しました。 如来寺では、下野三十三観音霊場(4番)と2023年限定のアート御朱印 タイトル『家康と家光〜春〜』の御朱印を頂きました。 尚、限定御朱印は数種類ありました。
如来寺(如来寺・案内板より抜粋)
・室町時代中期(文明年間)に金蓮社暁誉上人により創建されました。 江戸時代には東照宮御造営の際、徳川3代将軍家光公が宿泊するために壮大な御殿が境内に建てられました。 御殿は寛永2年(1742年)に火災により焼失しましたが、本堂内の歴代将軍家位牌所には12代将軍家慶公までの位牌が祀られてその名残をとどめています。
安政3年(1856年)には、報徳仕法の祖であり今市の農村を復興した二宮尊徳翁死去の際、如来寺にて葬儀が行われ埋葬されました。
山 号・・星顕山
院 号・・光明院
寺 号・・如来寺
宗 派・・浄土宗
御本尊・・阿弥陀如来
創 建・・室町時代中期
開 山・・金蓮社暁誉上人
札 所・・下野三十三観音霊場(4番)
今市宿七福神(弁財天) ※ハンコ

如来寺の案内図と御由緒


如来寺の山門

鐘楼

稲荷社

地蔵堂


観音堂

下野三十三観音霊場(御詠歌)

如来寺の本堂

アート御朱印の見本

2023年限定のアート御朱印
(タイトル・・家康と家光〜春〜)



下野三十三観音霊場(4番)の御朱印

寺内に幼稚園が有り、御朱印はその幼稚園事務所と思われる所で頂けました
本堂を拝見出来ないか?とお願いしたら、忙しい中対応して頂けました
立派な仏様と脇間欄間見る価値有りです

御朱印
書置きのみ限定も有りましたが、通常のものを頂いてきました



今市という町は、1つの大きな神社と1つの大きな寺が要となっていると思う。
1つは、下今市駅からすぐの場所にある報徳二宮神社だ。無人の小さな神社をも管理しているようだ。
もう1つは、ここ如来寺だ。
幼稚園が併設されており、御朱印を頂く場所は幼稚園の事務室のように見えた。幼稚園の先生やスタッフかな?と思う方たちがおられた。
対応してくださった若い僧侶の方は本当に親切な方であった。
実は・・・申しわけない。今回は、日光中心部を主体にした旅であったので、如来寺さんの事は全く調べていなかったのだ。
もちろん、ホトカミでもチェックしておらず。Twitterアカウントがあったとは今知ったという。
こちらの御朱印も、お伺いした時に、「おおお」と思った次第だ。
こちらのお寺が徳川家と縁があるというのも、いきなりの参拝で住職に教えて頂き知ったという。実に恥ずかしい話だ。
ああ、ここに来られて良かった。歩けることに感謝と思えた。
又来たいと思える寺であった。
御朱印帳は数に限りがあり、ごめんねごめんねー。(栃木弁)とな。
https://moonpaint.umi-doodle.info/22gosyuinchou/
尚、御朱印帳は、こちらのページから購入できます。
なかなか素敵です。
徳川家康公の御遺訓
「及ばざるは過ぎたるより勝れり」
(足りないことは度が過ぎるよりも優れているという意)
この言葉に我々の目指す幸福へのヒントがあるように思います。
「厭離穢土欣求浄土」(えんりえどごんぐじょうど)
戦国の世(穢れた世の中)を離れ、平和な世(清浄な世の中)を求める。
この言葉を旗印に、家康公は戦国乱世を統一し、人々のための国づくりに尽くしていくことになります。
苦労の末、家康公が成し遂げ、大成した平安な世の中。
きっと穏やかな心持ちで我々を見守っていたことでしょう。
現在の世の中は、戦国の世とはまた違った事情で混沌とした状況に陥っています。
何も持たない中、平世を追い求めた家康公に倣い、明るい世の中を夢見て力強く邁進いたしましょう。
今こそ、夢見る一人一人の力強い一歩が生きる時ではないでしょうか。
如来寺












最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ





















































4
0