にっこうとうしょうぐう
日光東照宮の編集履歴
郵便番号
321-1431
ご由緒
日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。家康公は、天文(てんぶん)11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。
家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保(しょうほ)2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。
尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替されたものです。
編集前:日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。家康公は、天文(てんぶん)11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。
家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保(しょうほ)2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。
尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替されたものです。
電話番号
0288-54-0560
ご祭神/ご本尊
《主》徳川家康公
《相》豊臣秀吉公,源頼朝卿
編集前:《主》徳川家康公
《相》豊臣秀吉公,源頼朝卿
見所
<h3>観光客からも大人気、世界遺産・東照宮</h3>
日光東照宮は、1999年に世界遺産に登録され、日本人のみならず、外国人観光客からも大きな人気を誇っています。
年間参拝客は180万人を超え、京都・奈良の社寺に次ぐ観光地としても有名です。
<h3>徳川家康をまつる日光東照宮</h3>
誰もが一度は名前を聞いたことのある日光東照宮。
全国にある東照宮の総本宮です。
東照宮には、徳川家康を神様とした東照大権現がまつられています。
編集前:<h3>観光客からも大人気、世界遺産・東照宮</h3>
日光東照宮は、1999年に世界遺産に登録され、日本人のみならず、外国人観光客からも大きな人気を誇っています。
年間参拝客は180万人を超え、京都・奈良の社寺に次ぐ観光地としても有名です。
<h3>徳川家康をまつる日光東照宮</h3>
誰もが一度は名前を聞いたことのある日光東照宮。
全国にある東照宮の総本宮です。
東照宮には、徳川家康を神様とした東照大権現がまつられています。
アクセス
1.電車でのアクセス
浅草 ~ 東武日光(特急けごん) : 所要時間 約1時間50分
浅草 ~ 下今市~東武日光(特急きぬ+各駅停車) : 所要時間 約1時間50分
浅草 ~ 東武日光(東武鉄道快速) : 所要時間 約2時間5分
新宿 ~ 東武日光(JR特急日光) : 所要時間 約2時間
宇都宮 ~ 日光(JR日光線) : 所要時間 約45分
2.車でのアクセス
東北自動車道宇都宮ICから日光宇都宮道路を経て、日光ICで下りる。
日光ICから2km。
編集前:1.電車でのアクセス
浅草 ~ 東武日光(特急けごん) : 所要時間 約1時間50分
浅草 ~ 下今市~東武日光(特急きぬ+各駅停車) : 所要時間 約1時間50分
浅草 ~ 東武日光(東武鉄道快速) : 所要時間 約2時間5分
新宿 ~ 東武日光(JR特急日光) : 所要時間 約2時間
宇都宮 ~ 日光(JR日光線) : 所要時間 約45分
2.車でのアクセス
東北自動車道宇都宮ICから日光宇都宮道路を経て、日光ICで下りる。
日光ICから2km。
参拝時間
4月1日 ~ 10月31日(午前9時より午後5時まで)
11月1日 ~ 3月31日(午前9時より午後4時まで)
※尚、各期間とも受付は閉門30分前に終了。
編集前:4月1日 ~ 10月31日(午前9時より午後5時まで)
11月1日 ~ 3月31日(午前9時より午後4時まで)
※尚、各期間とも受付は閉門30分前に終了。
創始者/開山・開基
徳川秀忠
行事
1月1日 歳旦祭
2月3日 節分祭
2月11日 紀元祭
2月17日 祈年祭
5月3日 栗石返奉告祭
5月17日 春季例大祭・神事流鏑馬
5月18日 渡御祭「百物揃千人武者行列」
6月30日 大祓式(水無月大祓)
10月16日 神事流鏑馬
10月17日 秋季祭・渡御祭「百物揃千人武者行列」
11月26日 新嘗祭
12月20日 御煤払祭
12月31日 大祓式(師走大祓)、除夜際
文化財
国宝(8棟)
本殿、石の間及び拝殿(1棟)(附 銅箱入供養具9箇、旧妻戸2枚、箱入大工道具一具)
正面及び背面唐門 2棟
東西透塀 2棟
陽明門 1棟(附 旧天井板2枚)
東西回廊 2棟(附 潜門)
重要文化財(34棟)
(*)印の2棟は東照宮と輪王寺のいずれに帰属するか未決着である
上社務所(祈祷殿)
神楽殿
神輿舎
鐘楼(附 銅鐘)
鼓楼
(*)本地堂
(*)経蔵(輪蔵)
上神庫
中神庫
下神庫
水屋(附 手水鉢石)
神厩
表門(附 簓子塀)
五重塔
石鳥居
坂下門
奥社宝塔(銅製)(附 銅製華瓶・燭台・香炉)
奥社唐門(銅製)(附 銅製狛犬2躯)
奥社石玉垣
奥社拝殿(附 銅箱入供養具9箇)
奥社銅神庫
奥社鳥居(銅製)
奥社石柵
(奥社の附 石狛犬2躯)
仮殿本殿、相之間、拝殿(1棟)
仮殿唐門
仮殿掖門及び透塀 2棟
仮殿鳥居(銅製)
仮殿鐘楼
(仮殿の附 石燈籠2基)
御旅所本殿(附 石舞台、東遊再興記石碑)
御旅所拝殿
御旅所神饌所
(御旅所の附 渡廊)
旧奥社唐門(石造)
旧奥社鳥居(石造)
旧奥社唐門と旧奥社鳥居の2棟は、17世紀半ばの地震で倒壊した後、山中に埋められ、銅製の鳥居と門に建て替えられた。その後、1967年に発掘され、東照宮宝物館脇に復元・再建された。
(以下は「附」(つけたり)指定物件)
参道(石鳥居以内)
鐘舎(附 銅鐘)(鐘楼前)
燈台(鐘楼前、蓮燈籠)
燈台穂屋(附 銅燈籠)(鼓楼前、回転燈籠)
燈台穂屋(附 銅燈籠)(鼓楼前、釣燈籠)
銅神庫
渡廊(陽明門東方回廊の東)
銅庫門(附 板塀)
非常門(附 銅板塀)(中神庫北方)
鳥居(銅製)(水盤舎前)
内番所
西浄
東通用御門(下神庫東方)
石柵(陽明門前、鐘楼・鼓楼前、非常門脇、表門前、五重塔周囲)
銅燈籠16基
鉄燈籠2基
石燈籠104基
国宝
太刀 銘助真(附:打刀拵)(日光助真)
太刀 銘国宗(附:糸巻太刀拵)
重要文化財
南蛮胴具足
紙本著色東照宮縁起 画狩野探幽筆 5巻
剣 銘久国弘安三年三月日(附:金銅宝剣拵)
小文地葵紋付胴服
太刀 銘一(福岡一文字)(附:糸巻太刀拵)
太刀 銘吉房(附:糸巻太刀拵)
短刀 無銘 伝行光作(附:白鮫柄合口拵)
南蛮胴具足
脇指 銘備前国住長船勝光宗光備中於草壁作 文明十九年二月吉日(附:小サ刀拵)
寛永諸家系図伝(真名本) 186冊
蒔絵箱入紙本墨書東照社縁起 3巻 上巻後水尾天皇宸翰
渾天儀 寛文十年酒井忠直奉納(銅製)(附:寛文九年石原信由渾天儀倭字解写)
御朱印の説明
真ん中に日光東照宮と書かれ、右上に葵紋、真ん中に社印が押された御朱印です。
葵紋は徳川家の家紋です。日光東照宮は徳川家康公をお祀りされています。
東照宮奥宮と、境内にある輪王寺薬師堂の御朱印もいただけます。
編集前:真ん中に日光東照宮と書かれ、右上に葵紋、真ん中に社印が押された御朱印です。
葵紋は徳川家の家紋です。日光東照宮は徳川家康公をお祀りされています。
東照宮奥宮と、境内にある輪王寺薬師堂の御朱印もいただけます。
Wikipedia
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