しもつけやくしじ(旧あんこくじ)|真言宗智山派|医王山
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楽しみ方下野薬師寺 (旧 安國寺)のお参りの記録一覧

奈良時代、僧侶になるには大変であった。それは何冊もの本やネットで知りえた情報であるが、先月、九州に行き、五木寛之先生の著書から「3つの戒壇」の存在を知ったのだった。
仏教が隆盛するに伴い、様々な問題も現れ始めます。まず、僧侶としての戒律を守る者が少なくなってきたこと、そして、生活の苦しい多くの庶民が、税を免れるために、勝手に出家し僧を名乗るようになってきたことです。これに困った朝廷は、正式に僧侶としての資格を与える“受戒”を行える僧を、唐から招請することを決め、それに応え、鑑真和上が多くの困難を乗り越えて来日。以来、僧侶として認められるためには、“受戒”の儀式を受けなければならない決まりとなりました。そして、“受戒”の儀式を行える場所=「戒壇」(かいだん)を持つ寺院が、畿内の東大寺、九州諸国の筑紫観世音寺、そして東国の下野薬師寺の3カ所と定められました。これらは、総称して「三戒壇」と呼ばれました。下野薬師寺は、東海道の足柄峠、東山道の碓氷峠より関東・東北の僧に戒を授けることのできる、大変重要度の高い寺院となり、ますます隆盛を極めることとなります。
(栃木県下野市のページより)
唐僧鑑真和上が天平勝宝6年(754)に来朝して、わが国に初めて正しい戒律を伝えた。その折、聖武太上天皇や孝謙天皇が受戒された大仏殿前の土壇をこの地に遷して戒壇堂を築き、伽藍を造営したのが戒壇院の起こりで、やがてここから多くの僧が巣立っていった。(奈良・東大寺より)
東大寺まで行くのは大変だということで、九州の筑紫、現在の太宰府と下野にも戒壇院が設けられたのだ。3か所のみ。
撫で薬師さまは、どこか悪い所を撫でると良いのだそうで、私の場合、頭と性格が悪いので、懸命に頭を撫でたのだった。
住職夫人が対応されたのだが、太宰府にも行かれているようで、観世音寺や戒壇院をよく知っておられた。鑑真和上に大変詳しい方であった。
ああ、ここは真言宗とかそういうくくりではなく、鑑真和上が仏教を伝えたその頃のままの信仰なんだなと思うのであった。
この跡地は時が止まっている。。。
夏空や 鑑真想いし 戒壇院












こちらは、奈良の唐招堤寺より株分けされた、瓊花(けいか)の樹だ。
ガクアジサイに似た花らしく、季節的にはその頃に咲くらしいのだが、紫陽花と違い、とても良い香りがするとの事。
中国茶のジャスミン茶のような香りなのだろうか?
奈良に行くか、こちらに又来るか。
ああ、まだまだ死ねないや。




数年ぶりのお詣り。
トチペスタンプラリーでお詣りです。
前回は、鑑真和上像開眼の直後、前々回は、作成中と毎回違う顔を見せてくださり伺う度にワクワク感があります。
今回は、撫で薬師如来像が開眼され本堂前に置かれていて、どなたでも触ることができるようになっていました。
残念ながら御住職はお留守で御朱印は書き置きでしたが、初めて奥様に対応頂き数年前にお詣りした事、来る度にあちこち変わっていて来る度にワクワクする事などいろいろお話ししてしまいました。
御住職さまのお話も楽しいのですが、奥様とのお話も楽しく、とてもオープンなお寺さんです。









御朱印写真追加します
とても気さくな住職様がいらっしゃいました
色々お話させて頂きました
薬師寺の歴史を知る事が出来る歴史館が近くにあります 入館料無料です


今日からお目見えとの事
初お目見えに立ち会えた幸運🍀
身体の気になる部分をお願いしなから触って下さい


怪しげな伝説の孝謙天皇神社を訪ねた後に、正史の方の下野薬師寺を訪問しました。
ちなみに現在建ってる薬師寺は、旧薬師寺が衰退した後に、近世に跡地に建てられた安国寺というお寺が改名したもので直接の関係はなし(法統は受け継いでるとのこと)
ちなみに道鏡についてはある意味黒歴史のためかほとんど触れられておらず、むしろ日本に戒壇を伝えた鑑真推しでした。
御朱印をいただく時に御住職と話しても、鑑真の名前は何度も出てきましたが道鏡の名前は一言も出てこなかったw
道鏡については、薬師寺の別院だった近くの龍興寺というお寺に塚などが伝わっているようなので、年明けにまた尋ねてみたいと思います。

印影は薬師寺の屋根瓦のデザインとのことでした

駐車場隅にあった石仏群





現代の薬師寺の本堂

薬師寺遺跡の南東隅にあったお堂。


さすがに日本三戒壇の一つだけあって寺域は広く、現在の薬師寺と墓地を合わせた以上の広さがあります

所々にVRスポットとして当時の伽藍を再現した看板があります






六角堂前に散らばる石碑や石塔のどれが道鏡墓かと思ったのですが違うようです


左奥に復元された回廊の一部





六角堂に祭られている鑑真像

薬師如来を信仰する「薬師信仰」は聖徳太子が用明天皇の病気治癒を祈って薬師如来像を建てて以来、天武天皇が皇后の病気治癒を願って大和に薬師寺を建立した頃盛んになった。下野薬師寺も天武天皇から持統天皇の時代に、国の中央の権力者が建てたものと考えられるそうですね。
当時、正式な僧侶の資格証明所を授ける戒壇は中央(奈良 東大寺)、西(太宰府 観世音寺)東(下野 薬師寺)の三戒壇があり、僧侶を統括する役目もあったそうです。
過去の栄華を思い起こさせる回廊も一部復元されています。
道鏡が左遷された場所としても有名ですが、戒壇跡に建っている戒壇堂には鑑真がおいでになります。

山門は「安国寺」
下野薬師寺じゃないの?って思った!

本殿






戒壇院跡に建てられた六角堂。

鑑真像



復元された回廊



ひろーい

金魚のよう椿の葉
見つけられたら良いことがあるよ、とご住職が教えてくれました。

良くみると、沢山あります。


医王山 薬師寺(旧 安國寺)
平成31年に参拝しました。
突然の参詣にもかかわらずとても親切に六角堂の案内をしてくださり有り難うございました✨
とても立派な六角堂でした!
いただいた由緒書きによると、奈良の東大寺、筑紫の観世音寺、それにこちらの下野薬師寺を合わせて日本三戒壇というそうです。
看板には安國寺とありましたが、平成三十年の平成大修理を機に創建当時の「下野薬師寺」に改称したそうです。

日本三戒壇
下野薬師寺(旧 安國寺)
भैバイの種字、御本尊の薬師瑠璃光如来です。

六角堂
約300年前、有りし日の戒壇院をしのび、その跡に建てられたそうです。


2018年10月30日に参拝した時のものです
お寺の名称が安国寺から
薬師寺に変わっています
奈良時代に正式に僧尼と認める戒壇が設けられ、
奈良の東大寺、福岡の観世音寺 そして下野薬師寺が三戒壇と総称されました
本堂でお参りを済ませ寺務所で御朱印をお願いすると
竹林の向こうにある六角堂は行ってみた?
えっ!まだですと答えると
あちらがうちの大事な所なのでお参りして来て下さいねと言われ
竹林を抜けると六角堂がありました
当時の下野薬師寺には250人を超える僧尼がいたそうです
御朱印を頂くと住職さまも境内に出て
歴史なと詳しく教えて下さいました









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