御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

編集詳細

2025年03月04日(火) 02時24分 byくし

履歴一覧へ戻る
緯度
編集前
36.3992062
編集後
36.40013107905733
経度
編集前
139.6044542
編集後
139.60362553338481
ふりがな
編集後
しょうみょうじ
通称
住所
編集前
佐野市山菅町3642
編集後
佐野市山菅町3477
ご由緒
編集後
資料が見つからず詳細不明。
創建年代は佐野板東霊場の開設年から推測。
境内の地蔵尊に以下のような伝承が伝わる。
【六部地蔵】
寛政七年(1795)のこと。越後の国から、はるばる当地に辿り着いた一人の六部(巡礼)がいた。
長い年月諸国を巡り、寺々の巡拝して歩きた疲れと、この土地の人々の親切さが身に染みて、この土地で余生を送ろうと心に決め、山菅の竜体様の辺りに小さな庵を建てて住み着いた。
朝夕念仏を唱える他は、訪ねてくる近所の人たちと茶飲み話をすることが、ただ一つの楽しみだった。
しかし、それから間もなく病気となり、近所の人の手厚い看護のかいもなく亡くなってしまった。
地元入り組の人々は、異郷の空で寂しく死んだこの六部を丁寧に葬って冥福を祈った。
それから六部の庵を整理したところ沢山のお金が見つかった。諸国巡礼の間にいただいたお金を貯めていたらしい。
そこで皆で相談し、このお金でお地蔵様を二体作り、一体を今の天神橋の近くの通り道に小さなお堂を建てて祀り、もう一体は多田に行く街道に祀り、
亡くなった六部の供養と、村人の無病息災・災難除け、また道行く人の安全祈願のために尊ばれた。
また、もしある越後に所縁のある人がこの地蔵を見て、故郷の人に知らせてくれることもあろうかとの願いも込めて「越後国蒲原郡(かんばらごおり)古立村」と刻まれた。
まだお金が余っていたので、畑を一反七畝(十七アール)買い求め、地蔵畑と名付けてそこからとれる作物を売って供養料とした。この地蔵畑は今も残っているという。
それから何年もたったある時、地蔵畑に関係ある世話人の一人が、体の具合が悪いのである処で拝んでもらったところ「お地蔵様の供養を怠っているからだ」とのお告げが出たため、さっそく供養したところ、すぐに病気がなおったという。 現在も近くの人々が毎年欠かさず、春の彼岸にはだんごをお供えして供養を続けている。
また、六部がお金を貯めていたことから、この地蔵は「金づくり地蔵」とも云われ、拝むと金が貯まるとも伝えられ、供養の時に以下のような念仏が唱えられたという。

上の地蔵さん
きみょうちょうらい じぞうさん
はるかおどうを ながむれば
くろがねのばして はしらとし
あかがねのばして さしいがね
しろがねのばして いたにうち
せんぼんたるきに そこうがね
ひがしとだなは ぜにすだれ
ぜにのめどから あさひさす
あさひのひかりで かねがわく
おゆわい おねんぶつ おめでたや
(なむじぞうへんじょうそん)

二体の地蔵のうち、天神橋のそばにあった一体が、現在の正明寺(当時は回向院と呼ばれた)の境内に移され安置されている。
もう一体は、元資料では「須藤タイヤの北側の道路脇に安置されている」となっているが、須藤タイヤという店舗は現存していない。御榊山神社の近くに須藤商事という給油所があり、おそらくこの辺りではないかと思われる。
メールアドレス
ご祭神/ご本尊
編集後
《本尊》不明
《霊場本尊》観世音菩薩
《諸尊》六部地蔵
URL
見所
編集後
越後から来た六部に纏わる、金運に御利益のある地蔵が伝わる。
アクセス
参拝時間
twitter
facebook
instagram
LINE
駐車場
トイレ
参拝所要時間
参拝料
山号
編集後
船沢山
院号
創立
編集後
不詳 少なくとも元禄四年(1691年)以前
創始者/開山・開基
編集後
不詳
本殿/本堂の建築様式
巡礼
編集後
佐野板東三十三観音霊場 第二十九番
佐野新四国八十八ヶ所霊場 第四十八番
行事
文化財
ご神体
YouTube