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2025年03月01日(土) 21時28分 byくし

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ご由緒
編集前
創建年代不詳。
いつの時代かに不動堂のみ残し、東宮神社を挟んで南約700mにある総持院満福寺に合併されたという。
寺時代の縁起・沿革は不明だが、寺への入口付近に立つ地蔵菩薩に纏わる民話が伝わる。

【三地蔵(三兄弟地蔵)】
昔、あるところに三人の兄弟が住んでいた。三人の名は「太郎」「次郎」「三郎」といい、三人は仲良く暮らしていた。
ある時、毎日の暮らしにもの足らず三人は旅に出ることにし、この地 牧から氷室の沢に辿り着いた。
三人は、牧と氷室の別々の地域に住みついたが、時々会っては助け合っており、三兄弟のことは地域でも知られるようになった。
三人はそれぞれ近所の人々と親しくなり、土地の人々にお世話になり、自分達も土地の人達のために尽くした。
こうして、この三兄弟は、それぞれの居心地のよい土地に住むようになり、地域の人たちにもかわいがられ感謝された。
三人それぞれの土地で亡くなり、生まれ育った土地ではないことから、当地の人たちの手によって葬られ地蔵が建てられた。
長男の『太郎地蔵』は、高さ66cmの坐像で、右手に錫杖と左手には法珠を持ち(錫杖は欠損)隣には五輪塔が建っている。もとはどこかの塚の上に立てられたが、耕地や道路整備により城龍院の入り口に安置された。
地蔵様に願い事をして、願いがかなうと願主がトウガラシで首輪をつくり地蔵様に掛けたことから「トウガラシ地蔵」と呼ばれるようになった。
二男の『次郎地蔵』は、牧町の広瀬包義氏の敷地内にに祀られている。個人宅に祀られているが、ご利益があるとのことから、誰とも言わず団子などを供えお参りする人もいるようである。
広瀬家では「日限地蔵」と呼び、毎月一日・十五日には供物をしたり、時にはお掛けや帽子も作り供養している。
三男の『三郎地蔵』は、水木町の大田沢の入り口、秋山川に架かる大田澤橋近くの水路の側の塚の上に安置されている。土地の人や道行く人たちにとって、つい手を合わせたくなるような場所である。
三体とも安山岩製の坐像で太郎⇒次郎⇒三郎とだんだん小さくなる。
三体とも銘はなく、建立時期や作者などは不明。
編集後
創建年代不詳。
いつの時代かに不動堂のみ残し、東宮神社を挟んで南約700mにある総持院満福寺に合併されたという。
寺の縁起・沿革は不明だが、寺への入口付近に立つ地蔵菩薩に纏わる民話が伝わる。

【三地蔵(三兄弟地蔵)】
昔、あるところに三人の兄弟が住んでいた。三人の名は「太郎」「次郎」「三郎」といい、三人は仲良く暮らしていた。
ある時、毎日の暮らしにもの足らず三人は旅に出ることにし、この地 牧から氷室の沢に辿り着いた。
三人は、牧と氷室の別々の地域に住みついたが、時々会っては助け合っており、三兄弟のことは地域でも知られるようになった。
三人はそれぞれ近所の人々と親しくなり、土地の人々にお世話になり、自分達も土地の人達のために尽くした。
こうして、この三兄弟は、それぞれの居心地のよい土地に住むようになり、地域の人たちにもかわいがられ感謝された。
三人それぞれの土地で亡くなり、生まれ育った土地ではないことから、当地の人たちの手によって葬られ地蔵が建てられた。
長男の『太郎地蔵』は、高さ66cmの坐像で、右手に錫杖と左手には法珠を持ち(錫杖は欠損)隣には五輪塔が建っている。もとはどこかの塚の上に立てられたが、耕地や道路整備により城龍院の入り口に安置された。
地蔵様に願い事をして、願いがかなうと願主がトウガラシで首輪をつくり地蔵様に掛けたことから「トウガラシ地蔵」と呼ばれるようになった。
二男の『次郎地蔵』は、牧町の広瀬包義氏の敷地内にに祀られている。個人宅に祀られているが、ご利益があるとのことから、誰とも言わず団子などを供えお参りする人もいるようである。
広瀬家では「日限地蔵」と呼び、毎月一日・十五日には供物をしたり、時にはお掛けや帽子も作り供養している。
三男の『三郎地蔵』は、水木町の大田沢の入り口、秋山川に架かる大田澤橋近くの水路の側の塚の上に安置されている。土地の人や道行く人たちにとって、つい手を合わせたくなるような場所である。
三体とも安山岩製の坐像で太郎⇒次郎⇒三郎とだんだん小さくなる。
三体とも銘はなく、建立時期や作者などは不明。