いっぺいづかいなりじんじゃ
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一瓶塚稲荷神社ではいただけません
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一瓶塚稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年06月29日(土)
参拝:2024年6月吉日
冠稲荷神社の掲げる日本七社(日本七大稲荷)に数えられる、栃木県最大(当社比)の稲荷神社です。当地へ稲荷大神さまを遷座する時、崇敬者たちが瓶一杯に土を入れて運び塚を築いたことが社名の由来となっています。三叉路のど真ん中にあるためとても分かりやすいです。
《鳥居と社号碑》
《由緒書き》
《銅製鳥居》
最初は気づかなかったのですが、後ほど宮司さんのオススメということで観察してきました。18世紀の制作であり、その銅製という素材も特殊ですが、鳥居の足元にこちらを見上げる小さな獅子狛犬像があります。
よく考えたら本殿前の狛犬像ポジは眷属さんがいましたし、獅子狛犬さんたちはここにいる子たちだけだったかもしれません。
最初は気づかなかったのですが、後ほど宮司さんのオススメということで観察してきました。18世紀の制作であり、その銅製という素材も特殊ですが、鳥居の足元にこちらを見上げる小さな獅子狛犬像があります。
よく考えたら本殿前の狛犬像ポジは眷属さんがいましたし、獅子狛犬さんたちはここにいる子たちだけだったかもしれません。
《手水舎》
水は出ています。
水は出ています。
《西宮神社》
《拝殿》
お隣の冠稲荷神社と比べると普通の木造で質素な雰囲気ですが、逆に要所ごとにある金の金具や銅版瓦がの屋根が重厚に感じられます。
お隣の冠稲荷神社と比べると普通の木造で質素な雰囲気ですが、逆に要所ごとにある金の金具や銅版瓦がの屋根が重厚に感じられます。
《扁額》🙏
👁チェックポイント‼️
よく見ると「日本神祇摠官領白川資延王謹書」と書かれています。全国の神社を(形式的に)統括していた神祇官の伯を継いでいた白川家の名前があり、資延王は江戸時代後期の21代目当主です。
👁チェックポイント‼️
よく見ると「日本神祇摠官領白川資延王謹書」と書かれています。全国の神社を(形式的に)統括していた神祇官の伯を継いでいた白川家の名前があり、資延王は江戸時代後期の21代目当主です。
《後ろ戸》
本殿の真後ろの扉です。小さな眷属さんが整列しています。
本殿の真後ろの扉です。小さな眷属さんが整列しています。
《本殿軒下》
高欄下の軒下でさえ多くの赤い龍や植物の彫り物がたくさんあり、そのうえで礎石に眷属さんたちがたくさん集っています。
高欄下の軒下でさえ多くの赤い龍や植物の彫り物がたくさんあり、そのうえで礎石に眷属さんたちがたくさん集っています。
《本殿》
上の彫り物が豪華であるのには、やはり同県の日光東照宮の影響が色濃くあると宮司さんは仰ってました。
上の彫り物が豪華であるのには、やはり同県の日光東照宮の影響が色濃くあると宮司さんは仰ってました。
すてき
投稿者のプロフィール
神祇伯1458投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(11/3更新)
御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。
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