かしまじんじゃ ようはいでん
鹿島神社 遥拝殿のお参りの記録一覧
この日は再び東の佐野(旧田沼町)方面へ。 前回は市街地でしたが、今回は北の山沿いを巡ってみました。
この神社について下調べしていたところ、田舎の鹿島神社にも関わらずなんと遥拝殿があるらしい!? それも祠とかじゃなく里宮レベルのちゃんとした神社😳
俄然興味が湧いてまずここから拝んでみることに。
神社(本殿)の創建は鎌倉時代初期。 創建者の戸奈良五郎宗綱は佐野氏3代目当主 佐野実綱の子で、ここより少し東にある萬年山 種徳院の近くに鰻山城を築城し土着。
一説によると、執権北条氏と三浦氏が戦った宝治合戦で、三浦方に付いて討ち死にした佐野小五郎なる人物と同一とのこと。
そしてこの神社のもう一つのキーマンが、境内社に「石井包孝五右衛門命」という神として祀られてる石井包孝という江戸時代後期の義民。
呉服屋、質屋などを営む地元の豪商だったそうですが、私財を投じて新田開発、治水に尽くし、天保の大飢饉では村民救済に努めたり。宿場への賦役免除運動をした人だったそうです。
村民が手放した土地が十倍の価格になった時に元の買値で売り戻すとか💦 マジ生き神だよこの人😭
本当の上級国民ってのはきっとこういう人のことを言うんだねw😍
この遥拝殿が建てられたのは昭和27年(1952年)で、包孝さんが神として祀られてから100年以上も後。
もともと佐野氏の崇敬篤い神社だったそうですが、それ以上に包孝さんが地元の人にずっと崇敬されてるんでしょうね🙏
この遥拝殿、実は無人社ではないようで、境内に社家さん宅と思われる家があり人もいたようなんですが、参拝したのがまだ朝8~9時くらいと早かったんで今回は声掛けはしませんでした😅
入口は南側にあり、北西に向かって伸びる参道
途中で右に90度折れて北東方向へ
手水舎
神楽殿
境内社かと思ったらトイレだった😅
拝殿(遥拝殿)
戦後の建築のためか、なんとなく一般家屋のような作り
遥拝殿内部
中は綺麗に整えられてます
左に境内社と石祠が一つ
資料を見るとおそらく白山神社だと思われる
白山神社内部
かなり立派なお宮あり
右には鳥居付き境内社が二社
左は報国神社
社名から考えて護国神社とか招魂社みたいなものかと
建立も明治39年と日露戦争の直後なので
右は義民 石井包孝を祀った包孝社
たぶん「包孝霊社」なんだろうけど難しい書体だ💫
やはり地元の崇拝篤い方だったらしく、専用の手水まで設けられてる
由緒を調べたところ、包孝さんは本当に「神」と呼ぶに相応しい人だった😭
栃木県のおすすめ2選🎍
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