けいそくじ|真言宗豊山派|仏手山
鶏足寺のお参りの記録一覧
足利三十三観音霊場の納経で再訪しました。
まぁ最初にピンポン寺で納経帳買って御朱印いただいちゃったのでもともと順番は崩れてますがw、一応それ以外は一番から回ってみようかと(・∇・)o
将門調伏にまつわる伝説が伝わるお寺ですが、寺の縁起物語もなかなかダイナミックで、昔この辺りの山が一斉に鳴動し最後まで鳴り止まなかった山から石仏が出現!
山の麓に石仏を祀る寺を建てたのが始まりとのこと。
それほど山奥ではないですが聴こえるのは烏の声ばかりなりの静けさ。
あいにくの天気だったので当初は本堂参拝と受印だけして帰る予定でしたが、参拝中は不思議と雨も弱まったので、仏を生み出した霊気溢れる山中に散らばる堂宇や石仏も拝んできました(。-人-。)
足利三十三観音霊場 第一番
ここは御朱印をいただくと、足利銘菓 古印の瓦煎餅もお供物として付けてくれます。
山門
勅使門
現在では正門ですが、鎌倉時代は朝廷の勅使専用で普段は閉じられてたとのこと
本堂
本堂の縁側に付属する小さいお堂
まずは五大尊堂から見てみますか
素晴らしいアへ顔のジャバ・ザ・ハット(゚∀゚)
・・・じゃなくて布袋様w
稚子大師
幼き日の弘法大師
安心してください はいてませんよw
かなりカッコイイお不動様
五大尊堂
不動明王、東方降三世明王、南方軍荼利明王、西方大威徳明王、北方金剛薬叉明王が祀られた護摩堂
ちなみにこちらの通常御朱印はお釈迦様とお不動様ですが、お不動様の方には五つの梵字が入ってます
延命観音
地元の木村ユキさんという方が、戦没したご子息の供養のために建立
功徳あったのか103歳の大往生を遂げたそうです
閻魔堂
中を見たら大きな閻魔大王と龍のスゴイ天井絵が!Σ( ̄□ ̄;)
間引き地蔵 歴史の暗部
石の宝船に乗る七福神
サルスベリの木
お寺の右側には、将門調伏を行った定宥上人が136歳(!)で入定した入定塚というのもあるらしいですが、これは見逃した
寺の前にある五尊教会
鶏足寺には将門調伏に使った五大明王と、その功で朝廷から下賜された五大明王があるらしいのですが、そのどちらかが五大尊堂に、もう片方がこちらに祀られてるらしい
両毛一の古刹だそうです。
平将門の乱の際に藤原秀郷の依頼で土で作った将門の首を使って調伏の修法を行ったところ、三本足の鶏が現れて将門の首を踏みつけたという伝説のあるお寺。
三本足の鶏というのが、八咫烏の原型にもなった中国神話の太陽の中に住む三本足の鳥との関連性を思わせて、なかなか興味深いです。
ちょうど御住職が不動堂の中で年末大掃除か護摩の準備でもしていたようで、直書き対応できないようだったので書き置きをいただいてきました。
門前には杉並木
Webサイトに参道を新調したばかりとありました。
参道よりかなり右側にあった赤門
用途は不明です。
本堂の縁側の角にあったお堂。
千羽鶴が多数ぶら下げてありました。
本堂左手にあった不動堂
不動堂よりさらに左に閻魔堂と池のある庭園がありました。
9時頃ですがまだ池が凍りついてました。
寒くなりましたね(((>_<)))
池のなかに石舟に乗った七福神
足利銘菓 古印の瓦煎餅もいただきました。
足利市内から車で約30分。足利三十三観音霊場第1番札所の真言宗寺院。ご本尊は釈迦如来です。
市内からは車で桐生方向へひたすら西へ。少し山の中に入ったところにある比較的大きな古刹です。
809年、奈良東大寺の定恵上人がこの近くの「鳴山」より生まれた石仏を山麓に移して、釈迦如来をお祀りしたのがはじまり。
「世尊寺」と呼ばれていました。
この寺院には「平将門の乱」と関係があり、坂東征伐に向かった藤原秀郷が苦戦を強いられた際に、乞いを請けた常裕上人が将門調伏の修法を続けていました。
満願の日に疲れ果てて眠っていると、三本足の鶏が血まみれの将門の首を踏まえて高らかに時の声をあげる夢を見ました。
その後も修法を続けていると、童子がやってきて「今、秀郷が将門を討ち取った」と告げると消えていなくなりましたが、お告げのとおりになりました。
この霊験により「鶏足寺」と改められました。
山門です。
長い参道を進みます。
勅使門です。
サルスベリの木。
本堂の左手奥には、五大尊堂です。
七福神の像。
本堂です。
この右手に庫裏があり、観音霊場の御朱印をいただきました。
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