まんぷくみつじ|真言宗智山派
滿福密寺のお参りの記録一覧
正式名:教王山遍照光院満福寺
別称:おにおう(鬼王)さん
弘長2年(1262)、洛南醍醐寺報恩院の学僧であった朝海法印が日光修験に赴いた折、下野国都賀郡太平山の山麓に住坊を建立し、山林修行に励む傍ら天下泰平・万民豊楽の祈祷を行ったことに始まる。
天正年間、皆川城主・皆川広照の栃木城及び城下町造営の際、命によって現在の地(栃木市旭町)に移され、城下町東の木戸守衛を兼ねる。
天正19年(1591)11月には、関東八州に移った徳川家康の鷹狩りの折の休息所となり、住持の応接にすこぶる満悦し朱印五石を賜わる。
以来、寺勢大いに振い、江戸期には大伽藍を擁した。しかし、文久2年(1862)の大火により堂宇をことごとく失った。
以後しばらく無住の時期もあったが、明治30年 (1897)に富山県射水郡から出た長澤泰純が晋住して復興に着手。
昭和47年(1972)に本堂が再建され、昭和60年(1985)には客殿・住坊を建設。さらに平成23年(2011)、開創750年を期に新本堂「大毘盧遮那殿」を建立。旧本堂は大師堂となり、同時に境内も大規模整備された。
彼岸は檀家さんの邪魔になりそうなので、この日は菩提寺以外は神社だけ拝む予定だったのですが・・・
栃木神明宮に隣接して無視するにはあまりに惜しい大伽藍が2つも見えちゃったので、煩悩に負けて行ってしまいました(^^;
これはスゴイ・・・Σ( ̄□ ̄;)
圧倒されました! 調べてみたら江戸時代に火災で全焼し昭和期に復興、本堂は築10年前後と、建物群は結構新しいらしい。
こんな大伽藍でも民家程度の本堂の時代が長く続いたり、無住の時代もあったんだとか・・・まさにお寺の歴史自体が栄枯盛衰、諸行無常を体現してますな。
今日は不在のようで、噂の三鬼尊はどれかわからなかったので、また縁があったら来てみたいと思います。
太い注連縄が巻かれた岩
フム・・・なるほど
・・・すみません、サンスクリット語読めませんw orz
右手のこちらが本堂
地蔵堂
大師堂
こっちが本堂じゃね?と思ったら、現本堂は2011年建立と新しく、やはりこちらが旧本堂だったようです
提灯でかっ!
先達がお遍路達成済み
様々な願望に特化したお大師様
いくつかチョイスして拝んできました
・・・25体くらい(^^; 欲望大杉だろw
裏にもあるのかよ!Σ(´∀`;)
裏は健康・病気平癒系に特化したものが多いようで、身体の部位や症状に合わせて細分化されてました
無病息災と病気平癒で充分じゃね?と思いつつも、やはり選んでしまって拝むw
偉人の墓があるらしい・・・
お彼岸は最低でも墓場凸だけは避けようと思ったけど、好奇心に負けて侵入(^^;
「孤高の日本画家」とは('_'?)
Wikipediaを見たら「中央画壇とは一線を画し」と書いてあった
よく知らんけど美術界は結構権威主義的らしいので、いろいろあったんでしょうなぁ・・・
絵はわからんけど、権威に縛られず自由に生きるというのには多いに共感するので、そっと手を合わせてきました(―人―)
・・・出川哲朗?(すみませんw)
北東の隅に鬼門を守るように地蔵と稲荷あり
苦抜き地蔵
繁昌稲荷
隣り合わせですが、稲荷は南向きで地蔵は北向きです
お寺からの第二公園と栃木神明宮の眺め
日本で唯一、三尊一体の鬼神像(三鬼尊)をお祀りしています。
「悪運断ち」「病魔退散」「子育安全」のご利益があります。
周辺は高そうな料亭が並び、ちょっと敷居が高そうな感じでしたが大師堂は誰でもお参りできるよう開けられ来る者は拒まずって感じでした。
残念ながら、このご時世で御朱印はいただけませんでした。
六地蔵
本堂
亡き人の魂をあの世に導く十三仏
観音堂
身代わり地蔵尊
大師堂
こちらに三鬼尊がいらっしやいます。
ピンコロ大師
撫でます。
撫でます。
三鬼尊
真ん中の鬼が鎖に繋がれています。
夜な夜なお酒を食らいに行くので、繋がれました。
通りの脇に稲荷神社
身代わり地蔵尊
こちらも通りに面しています。散歩途中でもお詣りできます。
栃木県のおすすめ2選🎌
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