ふくしょうじ|浄土宗|熊野山
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福正寺の編集履歴
2022年05月24日 22時20分
ご由緒
福正寺は法然上人の法曾孫にあたる一向上人が弘安元年にこの地に念仏道場を開いたことから始まります。
踊り念仏を教化の手段としたため、時宗十二派のにとつに組み込められましたが、教義的には浄土宗と変わりないものでした。創建以来念仏道場として隆盛を誇り、派内にあった僧侶養成や僧録所として北関東の中心的役割を果たしました。
又、西方遠江守の菩提寺、時太鼓役であり、寺子屋教育にも熱心でした。西方小学校発祥の地でもあります。
しかし、明治に入ると一向派の衰退が激しく廃仏毀釈も手伝って堂宇の消失、住職不在になりました。
浄土宗寺院の協力により堂宇の再建、増上寺からご本尊の寄進を受け昭和17年宗教統制により浄土宗に転宗することになりました。
昭和62年正住職在住に到り、山内の一新をはかるとともに踊り念仏の再興、地獄図や涅槃図の開帳などに力を入れ、現在では一般参詣で大いに賑わっています。
(由緒書より)
編集前:当山は、法然上人の法曾孫一向俊聖上人が鎌倉光明寺の修業を終えて諸国を遊行しながら、弘安元年にこの地で踊り念仏をされた時、紫雲全山たなびき、光明があたりを照らしたことから念仏道場を開くとともに熊野大権現を勧請しました。時宗一向派の寺院として創建以来明治20年までは、法灯を受け継いでまいりましたが廃仏毀釈、同宗の衰退により時宗一向派の継承が難しくなり浄土宗に転向いたしました。旧一向派の寺院として一向上人流の踊り念仏の継承は不可欠と考え平成20年に再興いたしました。末永く継承していくつもりです。
(HPより)
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