ごてんばとうしょうぐう あづまじんじゃ
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楽しみ方御殿場東照宮 吾妻神社 のお参りの記録一覧

御殿場市の名前の由来となった神社です。徳川家康公が将軍の座を息子の秀忠公に譲り隠居するため駿府に移動します。その際の江戸との往来の経由地として当地に荘厳な仮殿を建てたとされています。この仮殿は家康公が亡くなるまでは使われませんでしたが、仮殿を建てる際に周辺の街の整備が行われたことでその事跡を地名に残しています。

《鳥居と社号碑》

《手水舎》
水は流れていませんでした。洗ひつるここも…(略)

《石碑》
なんとなくしゃちほこのようにも見えます。

《表参道》
👁チェックポイント‼️
仮殿の跡地に建てられた跡地に東照宮を創建し「あづま権現」と称されていました。明治時代に近隣の吾妻大神社などを合祀したことで現社名に改称しました。この吾妻大神社は御祭神が日本武尊・弟橘姫命さまを御祭神とする神社であり、日本武尊さまの東国征討の事蹟の伝承がある地に立つ吾妻神社の1社とされています。
かつては全国東照宮連合会に属しその札所となっていましたが、現在は伊奈波神社、東雲神社、菅生神社とともに脱退しています。

《拝殿》🙏
前日に高見山穂見神社のお祭りがあり、その片付けで氏子さんたちが集まっていました。

《御殿場の由来》
建てられた仮殿は上述の通り家康公は使うことなく亡くなりましたが、神奈川の小田原城主だった稲葉氏が使っていました。

《兜石》
源頼朝公が脱いだ兜を置いたとされる岩です。

《石碑》
「徳川宗家十八代目揮毫」とあります。徳川家は明治時代に入り将軍家から爵位を叙され静岡へ下り現在19代目を数えています。15代の慶喜公が爵位を叙される際に徳川慶喜家を別で興したことで「宗家」と呼ばれるようになりました。
ちなみに最近新撰組をディスったことで有名な方は慶喜家の現当主で、嫁いだことで苗字が変わったため当代で廃家を宣言しています。

《参集殿》

【静岡•山梨ドライブ🚗】1日目
今回も天候に恵まれず…☔️😫バイク🏍️でツーリングの予定だったのですが、今回もドライブ🚗に変更です😅
御殿場プレミアム•アウトレットで買い物&昼食を済ませてから参拝スタートです😊
本日1社目の参拝は、静岡県御殿場市御殿場に鎮座する『御殿場東照宮(吾妻神社)』です⛩️
「御殿場」の地名由来となった徳川氏の御殿跡地に鎮座しています。あの天下人『徳川家康公』が生前ここにいたと思うと、感慨深いですね〜😌
参拝後、御朱印を貰いに『和菓処 大田屋』さんへ向かいましたが…定休日でした…😱水曜日は定休日みたいで、残念ながら御朱印は頂けませんでした😢
駐車場🅿️は、神社脇の御殿場区コミュニティセンターにあるので心配ありません😊
おまけ
🍙本日のランチ🍙
本日は御殿場プレミアム•アウトレット内にある、さわやかさんでランチを頂きました🤗

一の鳥居

社号標

二の鳥居
参道の奥に見えるのが拝殿です。

手水舎

手水舎
龍が囚われているみたいになっています…😅

拝殿

兜石🪨


石碑


おまけ①
さわやか御殿場プレミアム•アウトレット店さんです😊

おまけ②
ゲンコツハンバーグ(手前)と和風ハンバーグ(奥)を頂きました♪初めて食べましたが、とても美味しかったのでまた来ようと思っています😁
ご馳走様でしたっ😋

御殿場にきました。和菓子処 大田屋さんで御朱印いただきました。

御朱印いただきました

入口

手水舎




拝殿、感謝🙏

和菓子屋さんで御朱印いただけるようです




家康公の御殿があったようです

初参拝。
《御殿場市御殿場》
〖御朱印〗(書置き)近くの『和菓処大田屋』で、いただきました。
◆御殿場発祥の地

御朱印、近くの『和菓処大田屋』で、書き置きを、いただきました。

御社殿

鳥居

沼津・御殿場地区神社巡り⑨ 御殿場の地名の由来となった徳川家康の御殿跡に鎮座しています。結局、家康はこの御殿には立ち寄らなかったそうです。東照宮ではあるが、前面には出ては来ていません。(全国東照宮連合会には入っています)御祭神は日本武尊・弟橘姫命・東照大権現。歴史的にも観光的にも興味深い神社ですが、何かひっそりとしています。駐車場は有りませんが南隣の御殿場地区コミュニティ共用施設の駐車場が開いていれば停められます。この日は水曜で御朱印を戴ける「和菓処太田屋」さんが定休日でしたので、拝殿に掲示されている氏子総代さんに連絡をしました。わざわざ来ていただき、書置きの御朱印を高尾山穂見神社と合わせて拝受いたしました。

参道 ここだけ切り取ると時代劇に出てきそう

鳥居

社号標

手水舎

拝殿

扁額

本殿

燈籠

招魂霊神



地名御殿場発祥の地碑

御殿跡説明碑

御殿場東照宮社号標、徳川18代宗家徳川恒孝氏の揮毫

兜石由来説明板

兜石 源頼朝公が巻狩りの際、兜を脱ぎ置いた石と云われています

御殿土塁

元和元年(1615)大阪夏の陣で豊臣氏を滅ばした徳川家康は、駿府から江戸への交通路を整備し、江戸往来の宿泊のための御殿地を物色し、当地を選んだ。翌元和2年(1616)4月家康は薨去されたが、幕府代官長野九左衛門清定は、当地の土豪芹沢将監に「御殿新町の御屋敷造営を滞りなくすすめること」を命じている。
この御殿跡に鎮座する吾妻神社には、東照権現(家康公)をはじめ五神が祭られている。神社には徳川慶喜公直筆の扁額が奉納されている。
境内には、「地名御殿場発祥の地」の碑や、市内他所から移設された「兜石」(源頼朝が兜を脱いで置いたと伝わる石)などがある。
元和1年(1615)に徳川家康が、隠居していた駿河から足柄を越えて江戸へ上る際、仮泊するために館を建てました。その位置は、吾妻神社の境内から御殿場高校にかけての範囲で、豪華絢爛な建物だったと言われていますが、貞享3年(1686)に取り壊されました。江戸時代のはじめころ、御殿のあったところということで「御殿場」と称し、現在の地名の発祥の地となりました。















御殿場プレミアムアウトレットに向かう途中で立ち寄りました。高尾山穂見神社のお隣りです。

高尾山穂見神社。吾妻神社。




大田菓子店にて。

大田菓子店にて。

大田菓子店にて。

大田菓子店。

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