ごてんばとうしょうぐう あづまじんじゃ
御殿場東照宮 吾妻神社 のお参りの記録一覧
初参拝。
《御殿場市御殿場》
〖御朱印〗近くの『和菓処大田屋』で、書き置きを、いただきました。
◆御殿場発祥の地
御朱印、近くの『和菓処大田屋』で、書き置きを、いただきました。
御社殿
鳥居
沼津・御殿場地区神社巡り⑨ 御殿場の地名の由来となった徳川家康の御殿跡に鎮座しています。結局、家康はこの御殿には立ち寄らなかったそうです。東照宮ではあるが、前面には出ては来ていません。(全国東照宮連合会には入っています)御祭神は日本武尊・弟橘姫命・東照大権現。歴史的にも観光的にも興味深い神社ですが、何かひっそりとしています。駐車場は有りませんが南隣の御殿場地区コミュニティ共用施設の駐車場が開いていれば停められます。この日は水曜で御朱印を戴ける「和菓処太田屋」さんが定休日でしたので、拝殿に掲示されている氏子総代さんに連絡をしました。わざわざ来ていただき、書置きの御朱印を高尾山穂見神社と合わせて拝受いたしました。
参道 ここだけ切り取ると時代劇に出てきそう
鳥居
社号標
手水舎
拝殿
扁額
本殿
燈籠
招魂霊神
地名御殿場発祥の地碑
御殿跡説明碑
御殿場東照宮社号標、徳川18代宗家徳川恒孝氏の揮毫
兜石由来説明板
兜石 源頼朝公が巻狩りの際、兜を脱ぎ置いた石と云われています
御殿土塁
元和元年(1615)大阪夏の陣で豊臣氏を滅ばした徳川家康は、駿府から江戸への交通路を整備し、江戸往来の宿泊のための御殿地を物色し、当地を選んだ。翌元和2年(1616)4月家康は薨去されたが、幕府代官長野九左衛門清定は、当地の土豪芹沢将監に「御殿新町の御屋敷造営を滞りなくすすめること」を命じている。
この御殿跡に鎮座する吾妻神社には、東照権現(家康公)をはじめ五神が祭られている。神社には徳川慶喜公直筆の扁額が奉納されている。
境内には、「地名御殿場発祥の地」の碑や、市内他所から移設された「兜石」(源頼朝が兜を脱いで置いたと伝わる石)などがある。
元和1年(1615)に徳川家康が、隠居していた駿河から足柄を越えて江戸へ上る際、仮泊するために館を建てました。その位置は、吾妻神社の境内から御殿場高校にかけての範囲で、豪華絢爛な建物だったと言われていますが、貞享3年(1686)に取り壊されました。江戸時代のはじめころ、御殿のあったところということで「御殿場」と称し、現在の地名の発祥の地となりました。
御殿場プレミアムアウトレットに向かう途中で立ち寄りました。高尾山穂見神社のお隣りです。
高尾山穂見神社。吾妻神社。
大田菓子店にて。
大田菓子店にて。
大田菓子店にて。
大田菓子店。
富士山。
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