ごてんばとうしょうぐう あづまじんじゃ
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御殿場東照宮 吾妻神社 のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月04日(火)
参拝:2021年4月吉日
元和元年(1615)大阪夏の陣で豊臣氏を滅ばした徳川家康は、駿府から江戸への交通路を整備し、江戸往来の宿泊のための御殿地を物色し、当地を選んだ。翌元和2年(1616)4月家康は薨去されたが、幕府代官長野九左衛門清定は、当地の土豪芹沢将監に「御殿新町の御屋敷造営を滞りなくすすめること」を命じている。
この御殿跡に鎮座する吾妻神社には、東照権現(家康公)をはじめ五神が祭られている。神社には徳川慶喜公直筆の扁額が奉納されている。
境内には、「地名御殿場発祥の地」の碑や、市内他所から移設された「兜石」(源頼朝が兜を脱いで置いたと伝わる石)などがある。
元和1年(1615)に徳川家康が、隠居していた駿河から足柄を越えて江戸へ上る際、仮泊するために館を建てました。その位置は、吾妻神社の境内から御殿場高校にかけての範囲で、豪華絢爛な建物だったと言われていますが、貞享3年(1686)に取り壊されました。江戸時代のはじめころ、御殿のあったところということで「御殿場」と称し、現在の地名の発祥の地となりました。
この御殿跡に鎮座する吾妻神社には、東照権現(家康公)をはじめ五神が祭られている。神社には徳川慶喜公直筆の扁額が奉納されている。
境内には、「地名御殿場発祥の地」の碑や、市内他所から移設された「兜石」(源頼朝が兜を脱いで置いたと伝わる石)などがある。
元和1年(1615)に徳川家康が、隠居していた駿河から足柄を越えて江戸へ上る際、仮泊するために館を建てました。その位置は、吾妻神社の境内から御殿場高校にかけての範囲で、豪華絢爛な建物だったと言われていますが、貞享3年(1686)に取り壊されました。江戸時代のはじめころ、御殿のあったところということで「御殿場」と称し、現在の地名の発祥の地となりました。
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