むらやませんげんじんじゃ
村山浅間神社のお参りの記録一覧
静岡県富士宮市 村山浅間神社さんです
山宮浅間神社の近くなので立ち寄ってみました
他の方も仰っていましたが、社務所が開いてなくて御朱印を頂くことは出来ませんでした
村山浅間神社⛩️へお参りしました(。・人・`。)
富士修験の中心地だったところで、修験道のさまざまな名残があり、興味深かったです。
神仏習合や修験道についてもう少し知識を持ってからまた訪れてみたいと思いました❣️
御朱印拝受しました♪
大スギ
村山浅間神社⛩️
高嶺総鎮守社⛩️
神仏分離令前は大棟梁権現社⛩️という富士修験の祖とも言われる末代上人を祀る社堂があったとのこと
大日堂
社務所
【村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)】
~富士山世界遺産構成資産(神社:4/8)~
村山浅間神社は、明治の初めまで京都の聖護院を本山とする修験道の拠点で「富士山興法寺(ふじさんこうぼうじ)」と称した村山興法寺三堂を構成した堂社のひとつで、「富士根本宮(ふじこんぽんぐう)」、「七社浅間」などと称する古社。平安時代末、村山修験の祖とされる僧の末代(まつだい)(富士上人)が富士山を山岳修行の場として選び、富士山の山頂に大日如来を主尊とする大日寺、村山に伽藍を造営して富士山村山修験の元を開く。1779(安永8)年、富士山興法寺が保持していた富士山八合目以上の支配権が富士山本宮浅間大社に移譲されるが、山頂の大日堂の帰属は保持する。しかし、明治に入り、神仏分離令を受けた廃仏毀釈によって興法寺は廃され、大日堂と浅間神社は分離される。そして富士山興法寺が管理していた富士山山頂の大日堂は富士山本宮浅間大社に売却されて富士山本宮浅間大社奥宮とされ、同様に山頂の薬師堂は久須志神社と改称された。村山浅間神社は、本殿には境内社の富士浅間七社を相殿とし、境内の末代(富士上人)を祀っていた大棟梁権現社は氏神社として高根総鎮守社となった。
ー祭神ー
①木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)(別称:浅間大神(あさまのおおかみ))…大山津見神(大山祇神)の御息女で大変美しく、天照大御神の孫神の邇邇芸命(瓊々杵尊)の皇后となる。神徳:縁結び・安産子育。
②大山津見神(おおやまつみのかみ)…木花之佐久夜毘売命の父親。日本中の山を束ねる神様。神徳:山林守護・商売繁盛。
③日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)…邇邇芸命と木花之佐久夜毘売命の間に生まれた御子神。海幸彦・山幸彦の話で知られる山幸彦(やまさちひこ)。神徳:子授安産・厄除開運。
④邇邇芸命(ににぎのみこと)…天照大御神の孫神であるので天孫とも呼ばれる。地上に降臨した邇邇芸命は、木花之佐久夜毘売命という美女と出会い妃とした。神徳:事業繁栄・心願成就。
⑤天照大御神(あまてらすおおみかみ)…伊邪那岐命と伊邪那美命が生んだ神。八百万の神の頂点に立つ女神。神徳:国家鎮護・開運招福。
⑥伊邪那岐命(いざなぎのみこと)…国土の神々の生みの親。天空の父神。神徳:夫婦和合・子孫繁栄。
⑦伊邪那美命(いざなみのみこと)…国土の神々の生みの親。大地の女神。神徳:夫婦和合・子孫繁栄。
【拝殿】
【世界遺産】
4/25 村山浅間神社。
【鳥居】
富士根本宮。
【狛犬 阿形】
【狛犬 吽形】
【拝殿】
【鳥居(氏神社)】
高根総鎮守社。
【氏神社】
末代(富士上人)をお祀りしている。
【村山浅間神社のイチョウ】
【冨士山興法寺大日堂】
【護摩壇】
【不動明王(護摩壇)】
【水垢離場(みずごりば)】
【村山浅間神社の大スギ】
富士浅間神社巡りで今回は静岡側を主に回ってみました。
ふじのみやシールラリーのキャンペーンで3社巡ると富士山のマスクケースをいただけるというので
浅間大社、山宮浅間神社と巡ってこちらで3社目となりました。
コンプリートということで富士の写真柄のマスクケースを管理事務所でいただきました。
なお、御朱印のいただける社務所と管理事務所(駐車場そば)は別になります。
氏神社
氏神社
氏神社
興法寺大日堂
御朱印(書置き)村山浅間神社
御朱印(書置き)富士 興法寺 大日堂
ふじのみやシールラリー
期間は2022年3月31日までになります。
ふじのみやシールラリー
期間は2022年3月31日までになります。
マスクケース(表)
マスクケース(開き)
マスクケース(裏)
マスクケース(中)
週末なら社務所開いてると思って伺いましたが緊急事態宣言中だった為閉まってました。
江戸時代までは、大宮(富士宮)の富士山本宮浅間大社に参拝し、湧玉池での水垢離(みずごり)で身を清めた後に、村山へ向かうのが一般的でした。
江戸時代までの神仏混淆の時代には、富士山興法寺と村山三坊(池西坊・辻之坊・大鏡坊)があり、大宮・村山口登拝道や山頂の大日堂を管理していました。
富士山興法寺は、富士山での修験道の拠点として繁栄し、村山から富士山へ登る多くの修験者を集めていました。
富士講全盛の江戸時代には村山集落は修験者が住む地として繁栄していました。
村山浅間神社社殿は、明治の神仏分離で建立されたもので、現存する建物は鉄筋コンクリートによる再建。
明治初年に廃寺となった富士山興法寺の大日堂が現存。
江戸末期の建築で、正嘉3年(1259年)の銘がある大日如来坐像が祀られています。
また、境内には修験者が身を清めた水垢離場、石組の護摩壇なども残されています。
須山浅間神社同様、前回平日にお参りした際には授与所が閉まっていたため、休日に合わせて再度お参りをしました。今回は天気が良かったこともあり、とても良い雰囲気でした。
前回閉まっていた大日堂も開いており、大日如来や不動明王の像、それに富士参詣曼荼羅などを拝観できました。
御朱印は授与所にて、書置きのものをいただきました。こちらは神仏習合の神社ということで、村山浅間神社と大日堂の御朱印を頂けます。大日堂の御朱印には興法寺という寺号が書かれています。御朱印を頂いた際、合わせて静岡産の和紅茶の茶葉も頂き、ありがたいことでした。
こちらと山宮浅間神社は休日には世界遺産ボランティアの方が出てきてくださって、ガイドや授与所の対応をされているみたいです。お守りや御朱印などは休日に合わせてお参りしたほうが良さそう。
御朱印
大日堂の御朱印
鳥居
拝殿
本殿
大日堂
護摩壇
護摩壇の説明
氏神社
氏神社の説明
前回伺った時は閉鎖されていた社務所再開してました。御朱印書き入れて頂いてる間に、(振り返って御神木の先端を見てください、何に見えますか?)と聞かれました。
鹿児島の霧島神宮でも似たような枝を見たことあったので即答すると、(お兄さん、目が肥えてるね)とお褒めいただきました😆お兄さんと呼ばれたことが嬉しかったです😁
村山浅間神社行く機会あれば是非振り返って御神木探してみてください😊
大宝2年(702)創建で、坂上田村麻呂も参拝・寄進したと伝えています。境内には浅間神社と大日堂があり、神と仏が合同で祀られている。かつては富士登山道が通り、多数の宿坊が並び栄えていましたが、新道の開通で衰退し、現在は本堂と大日堂だけが杉木立の中にたっています。境内には県指定天然記念物の大スギとイチョウがある。
静岡県のおすすめ3選🎌
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