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村山浅間神社ではいただけません
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村山浅間神社のお参りの記録(3回目)
投稿日:2021年10月13日(水)
参拝:2021年9月吉日
週末なら社務所開いてると思って伺いましたが緊急事態宣言中だった為閉まってました。
江戸時代までは、大宮(富士宮)の富士山本宮浅間大社に参拝し、湧玉池での水垢離(みずごり)で身を清めた後に、村山へ向かうのが一般的でした。
江戸時代までの神仏混淆の時代には、富士山興法寺と村山三坊(池西坊・辻之坊・大鏡坊)があり、大宮・村山口登拝道や山頂の大日堂を管理していました。
富士山興法寺は、富士山での修験道の拠点として繁栄し、村山から富士山へ登る多くの修験者を集めていました。
富士講全盛の江戸時代には村山集落は修験者が住む地として繁栄していました。
村山浅間神社社殿は、明治の神仏分離で建立されたもので、現存する建物は鉄筋コンクリートによる再建。
明治初年に廃寺となった富士山興法寺の大日堂が現存。
江戸末期の建築で、正嘉3年(1259年)の銘がある大日如来坐像が祀られています。
また、境内には修験者が身を清めた水垢離場、石組の護摩壇なども残されています。
江戸時代までは、大宮(富士宮)の富士山本宮浅間大社に参拝し、湧玉池での水垢離(みずごり)で身を清めた後に、村山へ向かうのが一般的でした。
江戸時代までの神仏混淆の時代には、富士山興法寺と村山三坊(池西坊・辻之坊・大鏡坊)があり、大宮・村山口登拝道や山頂の大日堂を管理していました。
富士山興法寺は、富士山での修験道の拠点として繁栄し、村山から富士山へ登る多くの修験者を集めていました。
富士講全盛の江戸時代には村山集落は修験者が住む地として繁栄していました。
村山浅間神社社殿は、明治の神仏分離で建立されたもので、現存する建物は鉄筋コンクリートによる再建。
明治初年に廃寺となった富士山興法寺の大日堂が現存。
江戸末期の建築で、正嘉3年(1259年)の銘がある大日如来坐像が祀られています。
また、境内には修験者が身を清めた水垢離場、石組の護摩壇なども残されています。
すてき
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