じょうがんじ|曹洞宗
成願寺のお参りの記録一覧
頼朝が三島大明神参詣の途中に出会った餅売り婆さんに恩を報いるために建立した「成願寺」
静岡r129沿い。裏は狩野川。
お寺より北側の道に駐車場の看板あり。看板に沿って細い道を抜けると砂利の広めの駐車場。レンタカーで軽自動車だから入れたけど普段ミニバンなのでそもそも曲がれないと思う細い道。
入り口に大きな石標で「曹洞宗成願寺」
周囲に石碑がちらほら。入り口入って右側に色々古そうな供養塔、左側が会館。正面奥が本堂。
本堂左側がお墓ゾーンで、特に案内図はないが一番古そうなお墓が「頼朝公伝説・餅売媪之墓」一応立て看板があるが背が低いのでわかりにくい。
伊豆に配流となった頼朝はたびたび三島大明神にお参りに行っていた。途中この原木の地で餅売りの婆さんのお店に立ち寄り休息していた。征夷大将軍になった頼朝はその恩に報いるために婆さんの願いであるお寺を建立。婆さんのお墓は「餅売り媼の墓」として残る。
もう少しなんか名前なかったんかい...。
正蓮寺に続いて参拝させて頂きました。
駐車場はありますが入口はかなり狭いです。
コンパクトカーですら、「あんまり入りたくないな」という感じで、大きめの1BOXだとミラーを壁に擦るんじゃないかと思うほどです。
人の気配がなく、御朱印は頂けませんでした。
こちらには頼朝伝説と云われるものがあります。
言い伝えによれば、伊豆国の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝が、源氏再興を胸に三嶋大社への参詣の道筋に茶店があり、媼が餅を売っていた。
媼は不遇な源氏の御曹司を励まし、時には蛭ケ小島を訪れ餅を届けることもあったという。
後に、頼朝は源氏再興の挙兵を果たし、鎌倉幕府を創るが、媼はその出世を我がことのように喜んだという。
その後も媼が茶店を続けていると、頼朝からの駕籠が用意され鎌倉へ出向くこととなった。
頼朝は旧恩を忘れず「何なりと望みをかなえよう」と言ったところ、媼は「私は老い先短いので、阿弥陀仏を拝んで余生を送りたい」と願ったといいます。
頼朝は早速、阿弥陀仏を与え、一寺を建立して媼の望みをかなえてやりました。
媼の「我が願い成る」と喜んだ言葉を寺号とし成願寺としたと言われています。
寺号標
入口脇に童地蔵
参道
中に入ると六地蔵がお出迎えしてくれます
入って左手には庚申塔
無縁仏供養碑
戦没諸霊供養塔
境内全景
本堂
扁額
寺紋
御本尊
半鐘
客殿でしょうか?
墓地
石塔・石仏群
頼朝伝説の餅売媼の墓
駐車場入り口
かなり狭いです
駐車場に向かう通りの途中にあったので撮影しましたが、もしかしたら成願寺さんのものではないかもしれません
お稲荷さんのようです
お稲荷さんから見えたので撮影しましたが、もしかしたらこちらも成願寺さんのものではないかもしれません
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