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楽しみ方石室神社のお参りの記録一覧

伊豆半島最南端、石廊崎の断崖に鎮座する石室神社。まるで岩肌に張り付くように建つ社殿は、太平洋を望む絶景の地にあります。
参道は長い石段が続き、吹きつける強風に足を取られながらの参拝となりました。振り返ると、果てしなく広がる水平線。荒々しい海と空の境が一筋の光に包まれ、自然の雄大さと神の気配が一体となって迫ってきます。
厳しい環境にありながらも、海上安全と旅の無事を祈る信仰を今に伝える社。風の音と波の響きに包まれながら、心が洗われるような参拝となりました。


伊豆半島最南端の神社⛩️
石廊崎灯台のすぐ先の岬の崖の途中にあります。
昔の人はよくこんな所に…と神様に対する思いを感じました。

御朱印を始めた日(3月17日)の翌日に参拝、この日は結婚記念日です。
書置きのシール。

鳥居⛩️を越えて

石廊崎灯台
今も現役で海の安全を見守ってくれています。感謝‼️感謝‼️です。

神社⛩️

絶景‼️

絶景‼️

絶景‼️

ただただ絶景‼️

御祭神:
《石室神社》
伊波例命、物忌奈命、
大国主命、事代主神、
住吉三神、海神自在青龍王などです。
他にも
梵釈四天王
十一面観音
大六天神
という記述も見ました。
《熊野神社》
素戔嗚尊
今から1300年以上前に建てられた歴史のある神社です。
現在の社殿は明治34年(1901年)に再建されたものです。
石廊権現の帆柱にまつわる伝説があり、
伊豆の七不思議の一つと言われています。
昔、播州濱田港から塩を運んでいた千石船が
石廊崎の沖で嵐に遭い、
その帆柱を石廊権現に奉納すると誓って祈ったところ、
無事に江戸に到着することができました。
その帰途、帆柱奉納のことをすっかり忘れていると、
何故か石廊崎の沖で船が進まなくなり、
天候が急変して暴風雨となりました。
往路に誓いを立てたことを思い出した船主が
千石船の帆柱を斧で切り倒すと、
帆柱はひとりでに波に乗り、
断崖絶壁(およそ30メートル)を石廊権現の社殿あたりまで、
まるで供えたかのように打ち上げられました。
同時に暴風雨も鎮まり、
船は無事に播州へ戻ることができたと言います。
その「帆柱の上に社殿が作られた」と云われているのですが、
その帆柱を実際に見ることができます。
※伊豆七不思議
伊豆半島に伝わる七つの不思議な物語のこと
大瀬明神の神池(沼津市)
堂ヶ島のゆるぎ橋(賀茂群西伊豆町)
石廊崎権現の帆柱(賀茂群南伊豆町)
手石の阿弥陀三尊(賀茂群南伊豆町)
河津の鳥精進酒精進(賀茂郡河津町)
独鈷の湯(伊豆市修善寺)
函南のこだま石(田方群函南町)
《熊野神社(熊野権現)の由来》
長津呂の郷に住む名主の娘、お静は
毎夜、人目を忍んで岬で火を焚き、
神子元島にいる
漁師の幸吉に「元気に過ごしています」と合図を送っていました。
幸吉もまた火を焚いて、
お互いの安否を確かめ合っていました。
ある日、突然神子元島からの火が途絶え、
不安を募らせたお静は意を決し、
満月の夜ひそかに小舟を出しました。
幸吉も石廊岬の火が消え、
お静の安否を気遣っていました。
そんな時、海を見ると、月明かりの中に小舟が流されています。
「もしや、お静さんでは・・・」
力尽きたお静の舟めがけて海に飛び込み、
無事にお静を助け出しました。
その後二人は幸せに暮らしたと言います。
明治3年(1870年)に神子元島に、
翌年には石廊埼灯台が建てられました。
もとは海上安全守護のご利益のある熊野権現は、
お静が火を焚いたところに祠が祀られ、
以来縁結びの神として知られることとなりました。
元々、熊野権現と称していましたが
明治初期の神仏分離により熊野神社と称するようになりました。
御祭神の一柱として大国主命がいるためなのか
この日も大国主様から沢山のことを教わりました。
人間は、口では平和を求めていても
意識では、争いの種になる意識を
使っていることもあります。
“相手が酷いことを言ったから”
“あの人が変われば平和なのに”
そう感じることもあるかもしれませんが
それは、
“正義と悪”“被害者と加害者”とする分離意識です。
逆にどんな相手にも
“自分なりの正義”が存在します。
エゴはお互いに、
自分の正当性を押し付け合います。
そのぶつかり合いは争いを生むので
その意識の使い方自体が“争いの種”となります。
本当はただ違いがあるだけなのです。
どんなに口では平和がいいと主張していても
その“争いの種”となる意識を選択し使っていることで
争いの世界観を選択していると高次元は判断し
エゴの世界観に進むことになります。
環境によってエゴ意識は激しく揺れ動きますが、
魂の意識や魂の願い自体は何も変化しません。
魂の意識とは激しい衝動で欲するのとは違います。
激しい衝動で欲したものは
感情の起伏次第でやりたくない時も存在します。
その様に感情で揺れ動くものではなく、
静かに穏やかに、でも一定に安定した意識です。
それはどんな時も確かに“自分の中心”に存在します。
環境によってエゴ意識は激しく揺れ動きますが、
魂の意識自体は
どんな環境であっても一定です。
周りに影響を受けないというのは、
どんな環境でも自分は常に一定ということです。
この意識は今から迎える“夏”に向けて
本当に必要な意識となります。
環境がどうであれ、
文句や不平不満を言ったり、
壊したり、侵略するのではなく、
人間が適応し、順応するのです。
不平不満を言うのではなく、
自分がそれなりに適応できるはずです。
そのために知恵はあります。
人間のエゴ意識に標準を合わせるのではなく、
自然や神様、魂の意識に
人間が自分を変化させ柔軟に順応するのです。
自分自身の魂と繋がり
魂の感覚を思い出していくのは
瀬織津姫様のお力、
その次の段階にある
魂の意識で実際に自分の現実を創造していくのは
大国主様のお力です。
この段階では、
起こった現実に対し
今までとは違った視点で捉え、行動し
他者とも関わっていく段階とも言えます。
※神社の詳細や大国主命からのメッセージの詳細は
YouTubeの長編動画をご覧下さい。
詳しい参拝動画・大国主命からのメッセージは
YouTube長編動画に詳しく載せています。
https://youtu.be/SC6K5NlTNjc?si=CQ6wTYFVfTdtIjY0
▶︎ 【りゅうこん神社旅】で検索🔎
りゅうこん神社旅は
神社の魅力とりゅうちゃんや神様からのメッセージをお届けしています✨
YouTube長編動画にてぜひお会いしましょう。
#りゅうこん神社旅



















【完・20】伊豆の七不思議の一つ(帆柱はに波に乗り、断崖絶壁(30メートル)の社殿あたりまで、打ち上げられた。)
石室神社..静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎125
御祭神
伊波例命(いわれのみこと)..海上安全の神様
物忌奈命(ものいみなのみこと)..学問・産業の神様
石室神社から50メートルほど離れた岬の最突端には熊野神社があるります。

石室神社..静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎125
石室神社の御祭神は
伊波例命(いわれのみこと)......海上安全の神様
物忌奈命(ものいみなのみこと)........学問・産業の神様

伊豆半島 最南部 石廊崎に石室神社があります。
伊豆の七不思議の一つ「千石船の帆柱」で超(たぶん)有名!!

ここが旧参道で歩いて石室神社にいけます。
(フェリー乗り場はここです、広い駐車場とお土産屋さんがあります)

新参道入り口です、駐車場と売店があります。
売店の中から 石室神社に向かいます、およそ 10分ぐらい
平成31年4月1日からオープンされた石廊崎オーシャンパーク休憩棟内には、
「おみやげ販売」や「お食事処」などを営業しております。

売店から石室神社に向かいます。

一の鳥居、狛犬さんのお出迎え
(フェリーのある旧の参道から来たらこの辺で合流しています。)

石廊崎の灯台を見ながら歩きます。

この左の石段を下った所に石室神社がありますが、
写真中央に 縁結びの神様「熊野神社」が見えます。

石室神社につきました、(断崖・絶壁)

石室神社の全景です。
社殿の基礎として船の帆柱が使われて、一部がガラス張りで床から 伊豆の七不思議の帆柱 を見ることができます。

石室神社..静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎125
御祭神
伊波例命(いわれのみこと).海上安全の神様
物忌奈命(ものいみなのみこと).学問・産業の神様
ここで御朱印が頂けます(時間に注意)

伊豆七不思議
石廊崎権現の帆柱の案内

社殿内です(撮影は出来ません)下のガラス張りのところから帆柱を見ることができます
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石廊崎権現の帆柱の伝説
・千石船が石廊崎の沖で嵐に遭い、その帆柱を石廊権現に奉納すると誓って祈ったところ、無事に江戸に到着することができた。
その帰途、帆柱奉納のことをすっかり忘れていると、何故か石廊崎の沖で船が進まなくなり、天候が急変して暴風雨となった。
往路に奉納する誓いを立てたことを思い出した

社殿の床下です、帆柱が見えます
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石廊崎権現の帆柱の伝説
船主が千石船の帆柱を斧で切り倒すと、帆柱はひとりでに波に乗り、
断崖絶壁(およそ30メートル)を石廊権現の社殿あたりまで、まるで供えたかのように打ち上げられた。
同時に暴風雨も鎮まり、船は無事に播州へ戻ることができたという。

社殿から熊野神社に向かいます。

熊野神社の全景になります。先端に熊野神社があります。
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熊野神社の由来と伝説(涙)
石廊崎近くの長津呂の郷に住むお静という名主の娘が、
漁師の幸吉と恋に落ちたが、身分の違いで許されぬ恋であったため、
幸吉は神子元島に流された。
幸吉を忘れられないお静は、毎夜石廊崎の先端で火を焚き、
神子元島の幸吉と愛を確かめ合っていた。

熊野神社
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熊野神社の由来と伝説
ある晩、神子元島の火が見えないことを心配したお静は、
たまらず小船を出して神子元島に向かったが、
折りからの大風で波は高く船は進まず、お静は一心不乱に神に祈った。
その甲斐あって神子元島に漂着し、無事二人はめぐりあい結ばれた。
その後二人を親たちも許すこととなり、末長く幸せに暮らしたという。

熊野神社
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熊野神社の由来と伝説
お静が火を焚いたところに熊野権現の祠が祀られ、
以来縁結びの神として知られることとなった。
(明治初期に熊野神社と称するようになった)

熊野神社からの帰りです、石廊崎の崖っぷちに建っている石室神社がわかります
社殿が岩にめり込んでいるように見えます。

熊野神社から太平洋。
幸吉が流された神子元島は確認できませんでした。
静岡県のおすすめ3選❄️
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