たいへいじ|臨済宗建長寺派|長松山
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駐車場 | あり |
その他の巡礼の情報
泰平寺について
近年、改築されコンクリート造りとなりました。住職と設計者が同一人物
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下田市内寺院シリーズ ⑥
下田領主戸田忠次の菩提寺の臨済宗寺院。
伊豆横道霊場24番札所。
境内は檀家以外は立ち入り出来ないので、御朱印は入口のインターフォンで呼びますが、不在の時が多い。
山門です。
左側へ行くと境内への入口があります。
(完・11)長松山 泰平寺( 臨済宗 建長寺派 )静岡県下田市四丁目6-7
御本尊 聖観音_
伊豆横道三十三観音の第二十四番札所_
城下町・下田の基礎を築いた初代下田領主・戸田忠次のお墓所があります。
建築家である住職と設計者が同一人物
(改築されモダンなコンクリート造りです)
長松山 泰平寺 ( 臨済宗 建長寺派 )
静岡県下田市四丁目6-7
御本尊 聖観音
由緒
もと本郷にあった寺を、建長寺73世仏印国師を請じて開山したのを、雪叟がこの地に移し、下田領主戸田忠次を開基大旦那として再建しました。
--------略------
なお、幕末開港時の安政元年(1854)、ロシア使節プチャーチンと和親条約の交渉に当たった応接掛川路聖謨が、当寺を宿舎にした。
泰平寺にお参りしました。
最寄り駅は伊豆急下田駅より徒歩約7分位です。
山門手前の境内社
5.山門手前の六地蔵さん。
山門です、左に回ると通用門があります。
建築家である住職と設計者が同一人物だそうです。
(改築されモダンなコンクリート造りとなりました)
ここが通用門
境内に入らなくても参拝が出来ます。
境内、睡蓮の池に浮かぶ仏殿(釈迦堂) と法堂
伊豆横道三十三観音の第二十四番札所でもあります。
仏殿(釈迦堂)
10.法堂
11.泰平寺に咲いていた花。(11月)
歴史
建長寺73世佛印大光禅師(応永24年1417年寂)による開山。
山号は長松山、臨済宗の寺院です。
もと本郷にあり、建長寺七十三世仏印国師を請じて開山としましたが、雪叟がこの地に移して、下田領主戸田忠次を開基大檀那として再建しました。
三河国田原の豪族だった戸田忠次は、天正18(1590)年豊臣秀吉の小田原攻めに際し、徳川氏の下で功をたて、伊豆国が家康の支配下に入ると下田五千石を封じられました。海善寺の辺りに居館を構えていましたが、慶長2(1597)年死去し、ここ泰平寺に葬られました。
跡を継いだ次子尊次は関ヶ原の戦いで功をたて五千石を加増、祖先の地三河田原に1万石をもって移封されました。戸田氏が下田を統治したのは慶長6(1601)年までの10年余でしたが、この間、町並が整えられ、殿小路、紺屋町、町店町等の町名は当時の名残を示しています。忠次の墓は田原への移封により移されましたが、第3代下田奉行、石野八兵衛が泰平寺の故地に墓碑を建てて記念しました。これを知った尊次の孫戸田山城守は元禄3(1690)年、当寺に忠次の墓(下田市指定文化財)を再建しました。
なお、幕末開港時の安政元(1854)年ロシア施設プチャーチンと和親条約の交渉にあたった応接掛川路聖謨が当寺を宿舎にしました。また、ここ泰平寺は伊豆横道三十三観音の第二十四番となっています。
住所 静岡県下田市四丁目6−7
名称 | 泰平寺 |
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読み方 | たいへいじ |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0558-22-3037 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
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山号 | 長松山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗建長寺派 |
ご由緒 | 建長寺73世佛印大光禅師(応永24年1417年寂)による開山。 山号は長松山、臨済宗の寺院です。
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