りゅうじんぐう
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龍神宮ではいただけません
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龍神宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年11月30日(火)
【完/14】開運下田龍神宮・下田龍神宮(しもだりゅうじんぐう)
静岡県下田市柿崎27−20
御祭神:龍神
柿崎弁天島には、100数年前に建立された弁天社の鷺島神社と隣に天孫大神と鬼子母神を祭神とする下田龍神宮があります。
幕末に来航したペリーの乗る黒船に、吉田松陰が密航するために舟を漕ぎ出した場所でもあります。
吉田松陰踏海の企跡として下田市指定史跡になっています。
斜めに交差する縞模様は斜交層理
静岡県下田市柿崎27−20
御祭神:龍神
柿崎弁天島には、100数年前に建立された弁天社の鷺島神社と隣に天孫大神と鬼子母神を祭神とする下田龍神宮があります。
幕末に来航したペリーの乗る黒船に、吉田松陰が密航するために舟を漕ぎ出した場所でもあります。
吉田松陰踏海の企跡として下田市指定史跡になっています。
斜めに交差する縞模様は斜交層理
鷺島(弁天島)と言われ、下田湾上に岩山が突き出している。
開運下田龍神宮と鷺島神社(ささげ弁天)への入り口になります。
開運下田龍神宮と鷺島神社(ささげ弁天)への入り口になります。
入り口には、入口には吉田松陰の「七生説碑」と金子重輔の追悼碑があります。
柿崎弁天島は、幕末に来航したペリーの黒船に、吉田松陰が密航するために潜んでいた場所です
柿崎弁天島は、幕末に来航したペリーの黒船に、吉田松陰が密航するために潜んでいた場所です
参道 鷺島神社(ささげ弁天) です。
鷺島神社(ささげ弁天) 下田龍神宮と鷺島神社(ささげ弁天)が並んでいます。
敷地が狭いので斜めからの撮影です
祭 神:弁天様
創 建:天正年間(伝)
例祭日:十月十五日
敷地が狭いので斜めからの撮影です
祭 神:弁天様
創 建:天正年間(伝)
例祭日:十月十五日
5)下田龍神宮(しもだりゅうじんぐう)静岡県下田市柿崎27−20
御祭神:龍神..天孫大神様・鬼子母尊神様
創建:幕末期、
社殿:流造 南南東向
龍神は山、川、海、平地にそれぞれ千年、合わせて四千年の就業を積み龍神となって昇天されると言い伝えられています。
御祭神:龍神..天孫大神様・鬼子母尊神様
創建:幕末期、
社殿:流造 南南東向
龍神は山、川、海、平地にそれぞれ千年、合わせて四千年の就業を積み龍神となって昇天されると言い伝えられています。
下田龍神宮から見える景色(下田港)
開運下田龍神宮の由緒あります。
下田龍神宮は、伊豆下田城種が祀られた守護神として伝えられています。
下田龍神宮は、伊豆下田城種が祀られた守護神として伝えられています。
鷺島神社(ささげ弁天)の横の御神木
斜交層理..柿崎弁天島では縞模様が美しい、特徴的な地層が見られます。
10)斜交層理と呼ばれています。
地層面上には生痕化石(貝などの生物が穴をほったり這い回ったりした跡の化石)も観察できます
地層面上には生痕化石(貝などの生物が穴をほったり這い回ったりした跡の化石)も観察できます
窪田空穂 歌碑 (大正9年秋ここ柿崎弁天島を訪れ、吉田松陰先生の踏海の壮図を偲び詠む)
---心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜---
・窪田空穂(くぼたうつぼ・1877~1967) は近代日本を代表する歌人、国文学者で、歌風は客観性を重んじ、生活実感を歌い上げ抒情性に富んでいます。
---心燃ゆるものありて踏む夕波の寄り来て白き柿崎の浜---
・窪田空穂(くぼたうつぼ・1877~1967) は近代日本を代表する歌人、国文学者で、歌風は客観性を重んじ、生活実感を歌い上げ抒情性に富んでいます。
手前にありました、例祭とかに展示したのかも
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14)下から見上げた弁天島、左に鷺島神社(ささげ弁天)があります。
すてき
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